第7章ー高専は職業専門大学へ合流せよー

 

 職業専門大学が議論されている。実は、私はこれを評価している。
 学力・能力である層(例えば15パーセント)までは大学工学部でよいが、それ以下の学力・能力層にとっては、やはり、実践的職業教育でいいのではないか。つまり、政府が言いたいことが、学力中堅下位層までやっきになって大学進学を目指す必要はないということならば、この職業専門大学構想は、健全とは言えまいか。日本の教育論議は建前平等を標榜するが、百歩譲ってそれが良いともしても、どの学力層にはどのような教育をという実質的な議論があいまいにされてきた。高等学校卒業後の高等教育志向が進むのは止むを得ず、高等教育増設には理由のあるところだ。しかし、ここで政府がいわゆる狭義の大学(しかも大学院付き)を乱立したため、インフレ化した大卒に相応の仕事がない。そうであるなら、高等教育志向と卒業後の進路確保のためには、一応は高等教育機関と称する学校に職業教育を結びつけるしかない。例えば、大学定員は多くても高校卒業生全体の2割5分程度までに収め、あとは、あたらしい職業専門高等教育機関でよいというふうにすれば、大卒にその学歴に応じた職場がないという問題(世間で言う大卒の就職難)も緩和出来たかもしれない。 もっとも逆の可能性もある。中堅以下の学力の高校生にその時代の要請で、採用活動が活発化される可能性もあり、就職を望むものが就職できるよう準備をしておく必要はあるだろう。特に都市部に多すぎる中堅以下の普通科高校のカリキュラムの一部に職業教育を組み入れる工夫は必要であろうーそのような時代は終わったという者もあるかもしれないが、現在の人手不足の時代に、高校段階で少しでも職業教育を受けている層がいれば、彼らを吸収できる可能性がないと言い切れるだろうか。また、現在の大学のかなりの大学が学生を学力試験で選抜していないから、中堅以下の普通科高校の高校生のさらなる職業高等教育(もちろん能力が許せば、狭義の大学でもよい)への入学試験が阻害されるということもあるまい。

 自分たちで乱立しておいて今度はこれを転換しようというのは、確かに矛盾だが、多くの特に地方の小規模または非伝統校の定員割れが続いている今しか、これを改める機会はない。
 ところが、注意しなければならないのは、政府が言っていることが、上位学力層に対してさえも、一般教養と学術的な内容を軽視し、すぐに役立つような職業教育・実践教育を目指せ、ということならば、これは間違いである。そして、実は、日本には、上位学力層に対して、このような職業教育・実践教育をしますなどと標榜し、これを理系教育の本流のごとく欺瞞的な宣伝をし続けた学校がある。それが「高専」だったのである。高専の学生の水準は設立初期において特に高く、近年は学力が大幅に下がり続けつつも中には経済的な理由や親の意識(“手に職”の類)のために一定割合で比較的学力が高い層も含まれていることはこれまで述べてきたが、彼らこそ「国」に愚弄された生徒たちである。高専の問題性については、再度確認しておきたいことがある。それは、、高専の就職先-“地位”のことではない-がいいのは、比較的成績上位者で、中学卒業したばかりの生徒に社会の成り立ちやその矛盾に気づかせることなく、速習圧縮技術教育を施し(「学部並」というのは過大評価で高専教員や一部の適合卒業生の宣伝文句に過ぎない)、これに疑問を持つ者を排除し(学力よる「選別」ではない)、中堅または下級技術者枠を独占させた結果に過ぎない(企業が高専卒を表面上「評価」しているのは、この思惑から)という、特殊事情があるからだ。そもそも高専は設立当初から理念的・制度的に位置付が「あいまい」にして、同時に行われた工学部の大増設によって教育機関としての相対的地位が低下したという不幸な出発点をもっている(天野郁夫『日本的大学像を求めて』、野村正實『学歴主義と労働社会』)。決して高専教育の理念が優れているからではない。つまり、現状の高専教育あるいはそれに誘う手法を国民大多数に投げかけたからと言って、国民に仕事がいきわたり幸福になれるわけではない。このことも既に述べた。 
 では職業専門高等教育機関ないし職業専門大学を具体的にどうすべきか。①高専教育で問題されたように、中学卒業後5年も6年も長期に特殊な教育に押しこむような教育制度は絶対に回避すること、②就職問題は特に職業高校や普通科高校の学力中堅層にとって大きな問題となるのだから、彼らにどのような教育を施すかという側面で考えて、彼らに3年程度の職業教育を施す教育機関を膨らませること、③早期に、袋小路的な枠組みに、長期に渡って、特殊な教育を施すという高専の存在形式そのものが問題を生み出しているのに、これをそのまま存続させることは許されないから、これを解体的に再編して①②につなげる。つまり高専をこそあたしい職業専門大学へ接続させるのである。筆者は、高専教育がもたらす悪しき側面の諸悪の根源は、「中学卒業後」という部分であると考えている(中学卒業時での進路決定は困難であり、また、中学卒業後に専門科目を押し込むため、高校程度の内容さえもが圧縮され、精神にさえも影響を与えるのである)。これがもたらす、イビツな教育に、優秀層を誘っているとしたら・・・。この構造さえ破壊してくれればよいのである。具体的には、①②への接続に際して、高専の15歳から18歳の年代の前期(以下、前期課程と略称する。高専は前期と後期で教育を区切っていない)の課程を廃するか分離すべき(その分離の内容については次章を参照)である。職業専門大学というもがあって、これに「高校卒業後」に進学する層がいても全然かまわない。高専設立に先立って、専科大学構想があったのあるが、専科大学構想では前期課程は理念上絶対必要のものではなかったことを想起していただきたい(但し、「前提」にはなっていただろう(参照、岩本晃代「高等専門学校創設法案の経緯と「複線型」教育の問題点」カリキュラム研究第19号31頁))。そして、専科大学への転換は従来から高専関係者の間でも要望され議題になったこともあったのである。そのような経緯を考えると、職業専門大学構想にかこつけて、専科大学化してもよいのではないか、この制度的枠組みの中で、高専が培ってきたものを伸ばせばよいのではないか。年限は3年にして専攻科1年を設ければよい。「6年制」については既に功罪を指摘したが、結果的には21歳卒業としてもよかろう。

 ところで、このように、高専を新しい職業専門大学に合流させ前期課程を廃したら、大学と職業専門大学の二分法の中に高専が埋没し、これまでのように中学卒業時の優秀層を確保できなくなるという懸念が、高専関係者からなされる可能性がある。しかし、こうした主張は高専の矛盾をさらけ出すだけのものである。まず、優秀ならば高校から大学にいけばよいのである。何も困らない。わざわざ自分たちの特殊な教育に生徒を誘っておいて(中には、これを完成教育と評し、大学などに進学する必要はないとする教員もいたのである)、大卒との処遇の均衡や院卒の増加という問題にさらされるようになったら今度は都合よく大学編入学を目玉にしだしたのは当の高専であった。ならば、そのような矛盾を改め、職業専門大学に転換後の高専は従来の目的どおり中堅技術者や臨床的技術者養成に徹すればよいのである。本望というものではないか。しかるべき水準以上の大学にいけるような人材がいるというならば、そのようなルートを歩んでもらえばよいのだが、そうでない人材が来たなら来たで教育のしがいがあるというものだ。そのような教育成果を見て、大学工学部に及ばなかった者が職業専門大学で勉学に励んで何が悪かろう。彼らが、学力や研究では及ばなかったが、ほかの分野では、自分たちが一日の長があると思ってくれればよい。なお、職業専門大学には技能的な職業分野も含まれ、一応は、技術職の養成をしてきた高専側としてはこれと同等にされることに抵抗を感じるかもしれない。その感情は、大学や短期大学が高専に対して抱いてきた差別的な意識と同様なのであるが、その大学も、一流から無名まであることは忘れないで頂きたい。定評のある職業専門大学と定評のない職業専門大学があるのは、当然のことだ。最後に重要なことは、ここには、18歳という大人なろうとした時期に決めた、気持ちの整理と自分の能力への得心と納得がある。繰り返すが、15歳という少年が学校側から吹き込まれた宣伝を信じ、これに基づくルートが20歳まで続くという現在の高専では、気持ちの整理と自分の能力への得心があいまいなままなのである。

 

*平成28年5月時点、文部科学省から発表された「高等専門学校の充実について」は、おざなりな内容であった。1%の人間にしか関係のない制度というなら、何もいきりたつ必要もないのであろう・・・。