読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

第8章ー単純な論理、そして骨太の試案ー

1.単純な論理

 そもそも、高専設立当初から「大学相当」「中堅技術者」などという宣伝を行わず、“中等教育”の延長した5年制の工業高校とし、その内容も「中級」としてくれるか、そもそも最初から高専など作らなけらば、優秀者を誘ったことが問題の端緒となった高専問題は無くなったか少なくとも緩和されたであろう。中堅技術者や実践的技術者は、現在では、学力がやや落ちる程度の大学工学部の学部卒で間に合う。企業が学歴主義的な人員配置を、「学校」歴主義的に強化するだけでいいのであるし、現在この傾向がないと言い切れるだろうか?最後はここに行き着く。

 そもそも論はここなのであり、筆者の前章の考えは、ここから展開している。しかし、あえて高専をどうするかということになった場合に、次のような見解が示されている。

2.骨太の試案

 I博士は、自身のホームページ上に「高専の改造計画」を発表しておられる(筆者の過激な高専批判とI博士の建設的な意見・提案が混同されては同氏に失礼と判断しお名前を伏してある。いうまでもなく私筆者のこのブログの方は下劣といえば下劣である)。これは、高専の問題点を見事に分析し、一貫した論理で、その解決のための方策を示した、大変傾聴に値するものである。第4章の英語力の個所で触れた、渡部昇一平泉渉『英語教育大論争』における、平泉案のごとき迫力である。英語教育論争においては、試案への批判者である渡部側に分があったと私筆者は考えるが、この高専問題については、試案発表者側に分がある。否、論争が起こらなかったこと自体が問題なのかもしれない。平泉案と異なり、これに論争を挑めるだけの根拠と力を持った渡部氏のごとき方が、高専の世界や、これにかかわる政治家や教育学者にもほとんどいないのである。

 筆者のごとき者の案を、これと比較するのはおこがましい。しかし、あえて筆者の問題意識を述べさせて頂くと、日本において15歳の「早期」に「目に見える」「特殊な区別された」コースを設けると、そのコースの者は概して「多層化」に巻き込まれるのではないかということなのであった(第6章・第7章。この詳細は、次章でも述べる)。むろん、このことはI博士をはじめとする高専関係者こそ強く意識し続けてきた問題である。筆者は、第7章で、このような問題意識を前面に出して、いっそうのこと高専の1年~3年生の課程(仮にこれを前期課程とする)をこそ廃止せよ、必要に応じて前期課程を設けることができるとすることも反対と述べた。そして、高専そのものは解体的に職業専門大学に移行せよと主張した。

 しかし、I博士のごとく、「(3)最初の 3年間にて高校の教育課程を完全に保障し,4年生以上を単位制システムとする。 (4) 3 年修了時に、4年次への進級資格試験を行なう(センター試験を使ってもよいとする)。 (5) 3 年修了時における進路変更を制度として完全に保障する」として、前期課程と後期課程を分離し、しかも、これを通常の高校教育と交流を持たせるとするのであれば、筆者が言う問題点の多くが解決できるような気もしているのである。課程として完全分離するというのも、もちろん一考だが、例えば、前期課程を、〇〇専科大学付属中等教育学校、あるいは、端的に〇〇専科大学付属技術科学高等学校としてもよいのかもしれない。東京工業大学付属科学技術高校の例があり、入学者の学力水準は高いという。教育課程に特徴ありながら、しかも、大学進学者がほとんどであるらしい。

 ただ、失礼と著しい力量不足を承知で、以上を前提にいくつか問題点を述べさせて頂く。

 第一に、この新しい高専が養成する技術者とはどのような職種になるのであろうか。やはり従来通り大卒または院卒とは別の役割を持った職種になるのであろうか。それとも最終的には大卒化を目指すのであろうか。仮に前者だとして「大卒相当」としたり、仮に後者だとしたら、やはり、15歳生徒に向かって大学ではないのに大学と称して、彼らが知らずに不遇に陥ってきたという、高専問題は残る。これは、高専がこれまで犯してきた罪であった。どうせなら、明確に、初中級・実践型・臨床型技術者養成の短期教育としてもらった方がすっきりする。筆者が、物心ついた18歳生徒が自分の能力に得心・納得して、通常の大学とは異なった職業専門大学に進学するなら、それはそれでよい、という趣旨で職業専門大学を評価し、高専は解体的にこれに合流すればよいとしたのは(第7章)、このような問題意識に基づいているのである。

 もっとも、理工系でも大学がこれだけ増え、下位校も含めて大学教育を標榜している現在においては、学校をしてどのような位置づけの技術者を育てるか明確にしなくても、実際その後にどのように扱われるか、どのような職種に応募するかの方が重要であるとも言えるかもしれない。しかし、高専は名称と形態が異なるため、やなり一定のメッセージを出しておく必要はあると考える。

 第二に、編入学問題である。筆者は第3章で現在の高専が大学へのバイパスコースになっており、これに過度なポジティブアクションが働いているのではないかと指摘した。「進学高専」などというのは他の教育課程にある者からすれば揶揄の対象になっても仕方がない。ところが、高専18歳時点での進路選択を制度的に保障・確保しつつ、内容的にも定員的にも学士課程まで教育が保証される等高専が独自の存在として確立されれば、大学工学部へ編入学する必要はなくなる。望む者へのその後の継続教育は大学院で済ますことが出来る。そこまで高専の改善を行うにも関わらず、これに加えて、現在の進学高専の例に見られるような大学のネームバリューを求めるかのごとき編入学競争をも許すとすれば(「センター試験を受けずに国立大学工学部に行ける」などという安易な宣伝を行い、「編入学実績」を売りにする)、高専に過度の恩典を与えることになると考えるが、これはどうか。東大医学部保健学科は短期大学からの編入学を必要がなくなったとして廃止した。大学工学部側からも、もう高専からの編入学の必要はなくなったのだから廃止します、大学院入試を受けてください、とされるかも知れないが、高専側としてどう考えるのであろうか。

 なお、与党案のように、6年制で完成教育とし(その功罪については、第5章で述べた)、その後(筆者の考えでは結果的に専攻科か予科がかむことになるが・・・)、大学院への進学も可能ということになれば、いよいよ編入学を認める必要はなくなるだろう。

 I博士の頭の中には既に出来上がっているであろうし、このような安易な意見ブログを見て頂いているとは到底思わない。ただ、I博士が四半世紀にわたって行ってきた問題提起と意見に触れないわけにはいかず、あえて、失礼を承知で触れさせて頂いた次第である。ただし、筆者の、高専についての批判の数々には根拠があるし、第7章の意見については変更する必要はないと考えている。

 ちなみに、同氏のホームページ上にある、高専についての文部科学官僚の認識へのコメントは興味深かった。"官僚”といえば、ここからも、筆者の意見であるが、こういう「エライ人」は決して自分たちには逆らわない階層の人間に同情するのが好きである。かつてTKなる文部官僚がいたが、彼などは平成10年前後教育改革が言われていた時期に「文部科学省本省の職員の半数は高卒や専門学校卒なんです!」、「文部科学省には、高卒で大学の技官になり、その後働きながら夜学で学びⅠ種試験に合格した人もいます!」などの例を挙げ、一官僚に過ぎないにも関わらず自著で「国民」に向かって"学歴は不要"であるとうそぶいていた。ところが、かつて日本が貧しい時期、優秀だが高卒で初級公務員になった者は数多いし、逆に、日本の中央省庁という世界有数の学歴権威主義の世界には、たとえ出向でも大卒は入り込みたがらないという背景を忘れている。TK氏自身は若くして県の教育長になりながらである。また、その高卒夜学のキャリア官僚もTK氏によれば「県で30歳の若さで課長になっている」そうである(結局、試験エリート主義!)。「エライ人」は平気でそんなことを言うし、しかも、頭のいい人に「おセンチ」がはいると厄介だ。これは、高専問題の認識にも通ずるので、あえて言及した。もちろん、日本の中央省庁の官僚の能力は評価できるとは考えているが、高専問題は「立法府」による「立法」によって解決すべき重要問題であることも指摘しおかねばなるまい。