1.実は厳しくない進級
高専は、2割にも及ぶという退学率、4割にも及ぶこともあるという留年率を誇るが、この高い退学留年率は、高専の進級要件が特段厳しいからではない。このような学校を成功例などとは呼べない。
・赤点が高い、出席率が問われる
当たり前である。受験勉強をしなくてよいと喧伝されているのであるから、それぐらいは当然である。高校生の場合、一発試験の共通テストで平均60%とれなければ、どこの中堅大学にも入れないのだから、そちらの方が酷である。高専の場合、その科目を理解できていようが理解できていまいが(この点は後述)、ただ普通に勉強していれば60点にはなるという試験に対して、試験前にしか勉強しない、一夜づけしかしない者もいるのである。このありさまで、赤点が60点で・・・などと言っているのである。
・レポートを出さないと留年する
とにかく授業に参加して出しさえすればよいものを出さないのであるから、当たり前である。
高専で退学・留年する理由を、学力問題にだけ(逆に言うと学力問題があるのである)に帰するというのは短絡思考である。そもそも、ご丁寧に15歳から20歳までクラス担任がおり、ホームルームまであるという高専では、実際は、忠告、警告、再試などもあるのに、それでもなお留年してしまうのである。そして、留年した者の多くは「退学」の道を選ぶ。
2.退学・留年は、高専制度に内在するものである。
(1)早期に専門を決めることの弊害
学力が一定水準以上の高校生は、18歳までのスクリーニングを経て、専攻分野を決めていく。中には、早くからコンピュータやロボットをやりたい、趣味でやっている生徒もいるが、別にこれに凝り固まる必要は全くない(科学部などでやればよいのである。化学が好きなら、化学の授業を大切にし教師にどんどん質問すればいのである。嫌になったら志望を変えればいいから、心理的圧迫はない)。高専の場合、①15歳というあまりにも「早期」に、「比較的高い」水準の理工系の内容をもつ職業教育・技術教育を時間的に「厚く」受けさせられる。、高専は、赤点が60点という厳しい教育を課しているから、高い水準の教育を「達成」しているというのではない。 ”中学校を卒業したばかりのさほど早熟とも言えない生徒に、本来なら18歳までのスクリーニングと段階的な教育課程を経て施すべき「工学」の内容を、わからないのはお前が悪いといわんばかりに、いくつもの試験とレポートを課して追い込んで、多くの不適合者を生んでいるだけなのでる。では、生徒側に同情すべきかというと必ずしもそうではない。生徒側は、これぞ理工学というのではなく単なる訓練と割り切って、さしあたり試験を受け60点を取り、かつ、レポートを出しておきさえすればよいものを、「中だるみ」も絡んでそれさえもしなくなるのである。ちなみに、とりあえず試験はギリギリ、レポートはとにかく出してきたという生徒は、製造企業にとっては、出世させる必要のない使い勝手の良い労働力となるであろう(もしそれが目的なら、堂々、「専門学校」と宣言するか、あるいは、分岐型・複線型教育制度の導入によってすべきである)。②このような教育課程が「5年先まで」「制度化」されていることも問題である。専門分野適合に不安を抱き始めた生徒は、これまた高専制度の「閉鎖性」も絡んで、何かに閉じ込められているような感覚に苦しむようになる。これが、いつしか、専門科目への嫌悪、そして完全に不適合をきたし、勉強ができなくなるのである。そして(筆者はこれを否定しないが)高専制度そのものに嫌悪を抱くようになる。以上、多少は伸びしろがあろうかという生徒に、こういう教育設計をしているのは、高専だけである。
別のグループもある。高専にも学力が低い層はいる。あるいは、高専に来たがために勉学への姿勢を見失い、一般的な学習能力が下がる者もいる。この者たちにとっては、高専の「比較的厚い」専門教育(大学工学部相当などとうそぶいている手前、そうせざるを得ない)は、当然苦痛であり、やはり勉強ができなくなる。
(2)中だるみ
「5年」長期の過程であるため、中だるみがおこる。また、クラス編成をしているため面々が変わらず、環境も同じであることもこれに拍車をかける。2年生後半から3年生にかけて、それを乗り切ったにしても4年生前半あたりという、世間の高校生がもっとも勉強している時期に襲い掛かる。つまり、ただ勉強しなくなり、基礎学力が不足したままに留まってしまう。これも、留年問題の元凶である。この「中だるみ」が(中学卒業時、比較的成績がよかった彼らであるが)非行まで生むのだから厄介である。
3.高専は「科学技術」教育、「教育一般」の失敗例である
ある高専教員は、厳に「高専不適合症候群」というものがあると言ったが、いい得て妙である。逆に「高専適合症候群」というものもある。技術者・研究者と称しているが、基礎教育や人文知を極端なまでに軽視・蔑視し、あるいは、それもなお「教育」などとうそぶき社会に流布していくなどは、最低の所業である(あるノーベル化学賞受賞の工学者が「無用の用」「哲学・文学に触れる機会」「大学1~2年生の余裕」を説いていたのと正反対である。あたかも、高専には高校2年~3年生の年代における「中だるみ」はあるが、大学1年~2年生の「余裕」がない)。「不適合」「適合」問わず、また、一部に中だるみによって自堕落的態度の者や非行をなす生徒まで生み出している点も取らえれば、そのようなものを生み出す学校制度は決して成功例などではない。「成功例」と言いたければ、企業の中下級技術者養成・企業の下請的教育機関としては成功しているのであり今後もこれに徹するというなら、潔いのだが、どうも世間も高専も、この「成功例」とやらと「科学技術教育一般のあり方」「教育一般のあり方」とを混同しているようである。