筆者は、第4章5において、高専制度及び高専生をめぐる「典型的」にデタラメな言説を挙げておいた。その他にも、「都市伝説」が独り歩きし、これを信じる愚者たちがいるので紹介しておこう。都市伝説は放っておいていいのではないかと思われるかもしれないが、意外にも、これに一応は知識人と目される者たちが引っかかるのである。
1.「高専生は1年生から物理を微積分を駆使して解く」
早期教育を誇る(?)高専であるが、さすがに、1年生の初っ端から「微積分」「解析」を学ぶわけではない。一方、「物理」の授業は1年生から開始されることがほとんどである。先ず、表題のようなことは不可能である。そもそも、高専においては、1年生「物理」を指導経験豊富な元高校教員に頼っているケースも多いのである。
もちろん、微積分や数式によって、物理学は理解できるというのは確かにそうである。しかし、教育的配慮によって、後期中等教育では、力学などの古典的な理解、先ずは物理現象の直感的理解とこれを計算に落とし込むことが重視されるべきであるという考えも根強い(筆者は、終章において、「地球」物理学者・竹内均が書いた「物理」や「親切」な説明をした受験参考書を紹介してある)。一部の早熟な者や超難関大学の理学部を目指す者以外の高校生は、そこから始める。そして、大学に入ってから、あの物理現象が美しく数式化されることに感動するわけである。そして自らも数式を駆使するようになっていく(これが実践的な方向に向かえば「工学」となる)。はたして、やたら「即効性」が好きで「即物的」な高専や高専生が、そのようなことまで視野に置けているかどうか。この点は、高専の工学教育にも響いてくる。確かに、都市伝説と異なり高専1年生の物理の授業が微積分を駆使して行われるわけではない(博士(理学)とやらが、自分の高校時代を忘れて、趣味的にやろうとすることはあるが、そこまでの学力はない高専生のほとんどは撃沈するのがオチである)。しかし、既に”工学実験”における”機器操作”と”電気回路”の類の”数式演習”が「よくわからんが」「おっぱじめ」られているため、現象「そのもの」への感動や現象の直感的かつ丁寧な理解や説明はさておかれてしまう。そこに目が向けられなくなる。あるいは「地球」物理学や「地球」電磁気学をやろうにもやれない。高専の工学教育は「基本的な」部分が欠けており、高専生も意外と応用力がない、知識の広がりがないと言われるのはそのためである(中級以下の技術担当者。ある現象が起きているときに、マニュアルや理屈がよくわからない公式に落とし込もうとして、なぜその現象が生まれるのかを根本から考えることができない)。高専によっては、学科振りを2年次以降にするところもあるようである。しかし、1年だろうが2年だろうが、2年生までに数学をすべて終わらせて、3年生から物理(それなら、かの都市伝説は成り立つ)、4年生から学生実験を含めた工学をやり、あえていうなら、人文知・教養知をもって広く視野を持つ時期を挟まない限り、何がどうなるものではないことは常識的にわかろうとういうものであり。つまり、「5年一貫」「大学工学部相当」「一般教育の無駄を省く」「くさび型」という高専イデオロギー自体が欠陥性を帯びているのである。生き残るのは、ごく例外的な者たちだけであり、どこの世界にも例外というものはあるというそれだけのことである。
これまでの話にはオチがある。現在では、高専からの大学工学部への編入学が以前より多くなっている(といっても、実際は、高学力層としては、非常に抑制されたものであることは既に指摘した)。大学受験などは無駄だ!教養科目は無駄だ!俺たちは3年生で応用物理をやっているんだぞ!と豪語してきた高専生が、編入「物理」の受験対策をどうするかというときに使う問題集は、受験物理の問題集として名高い『良問の風』『名門の森』(河合出版)である。
2.「高専においては、2年生から大学教養部数学の内容、3年生では工学部でやる応用数学を学ぶ」という英才教育をしている。
これは半分正しいが、弊害の方が大きい。つまり、①単なる前倒し、②早期導入で理解できていない、③とにかく単元だけ早く進むため習熟度が低い、④その分、普通の高校生がやるはずの内容が端折られている、⑤3年生までに圧縮せざる得ないため、大学共通教育や専門導入科目でやる内容より厚みがない、⑥専門科目に間に合わせようとしているが、結果、間に合っていない(逆に、高専用の専門科目教科書は、公式しか書いていない)、⑦会社に入っても、その数学は使わない、⑧物理と同じく、どんなに早く数学をはじめようとも、専門科目が先行して「おっぱじまる」という事実は変わらないため、工学問題を先ずは数理的に理解する前に公式に当てはめようとする、闇雲に実験だけするようになる、⑨数学そのものの応用力がなく、高校生が解ける問題を解けない、⑩工学問題に行きつく前の数学の展開につき、大学受験を経たものなら即座に出来るものを、そこで躓く、⑪数学は、高校生の進路選択に大きな影響を与えることは周知のとおりであるが(実質的には、数学ができるかどうか、これに興味を抱けるかどうかで、理工系に進むか否かが判定される)、そのスクリーニング機能が働かない。
以上にみたとおり、英才教育でも何でもない。私の知っている英才は、受験雑誌「大学への数学」を解いて喜んでいた。あるいは、洋書の翻訳を読んでいた。
おそらく、私学の進学校などでは、2年生までに数学の全単元を終わらせているだろう。この点は、高専と同じである。しかし、その後1年の「演習」がないのである。高専側は「無駄」を省いているなどと豪語するが、実際は、演習を通じた理解や、応用力の涵養がないため、高専生の数学力一般は、普通科・大学受験生よりかなり低い。
なお、現在の「高専の数学」シリーズ自体もかなり薄い教科書になっている。初期から8期ぐらいまでの優秀な高専生は、これを見て驚き呆れることになろう。
3.入学時点で数学・理科に強い生徒が集まっている
偏差値65以上の高校に入学しようという者は、全科目よくできるのであって、そのような誇張はできない。相対的に、国語が苦手で社会には関心がないという程度である。あるいは、偏差値63ぐらい(この程度の高専は多くある)では必ずしも数学・理科に「強い」とは言えないであろう。国語よりは得意というぐらいで、「強い」わけではない。
4.「早期」に専門教育が開始され、 これが「長期」にわたるメリットは大きい。
「早期」であることが専門分野不適合・一般教育軽視・視野狭窄をもたらす。青少年への教育課程を無視した暴論である。高専に入学するのは、(1~3期の初期高専生にはそういう者もいただろうが)天才・早熟の者たちではないのである。早熟の者のためというなら、全国50校各校定員200名も要らない。これがスクリーニングなしに「長期」にわたる地獄(せいぜいよくて、「中だるみ」)を思い知るか、視野狭窄に陥るかのいずれかである。「長期」というのは、大学院博士課程を見込んだ段階的教育のためにあるのである(第5章2、第9章8を見よ)。
5.インターンが豊富で「産業界」と直結した経験を積む。
産業界での仕事は、学校で学び産業界へ入ってから十分対応できる。それが「実学」というものである。「実学」というものを会社での実務訓練ぐらいにしか思っていないのである。初期高専生は(当時の政治状況ということもあろうが)高専教育を「産業癒着教育」と呼んで反発した。この気概は認めてやろうではないか。実は、これも高専論法である。インターンなどは、欧米の大学では行われており、日本でも大学・大学院6年の中に組み込めば、むしろ、大学においてこそ意味をもつ。それが、いつしか、高専のものとなっているのである。高専で、「豊富」なインターンなどしようものなら、圧縮教育である高専カリキュラムの方が瓦解する。
6.高専は、高等教育と職業教育の融合制度である
何を言っているのか。大学工学部や大学院工学研究科がそうではないか。現在の教員養成系大学が典型的にそうではないか。我が国には、旧制専門学校から発展した国立大学や私立大学が、高専よりはるか以前に「高等教育」と「職業教育」を融合させてきた。現在では、あまり学力の高くない大学工学部が中堅以下の何らかの技術職に食い込んできている。アメリカでもA&M大学が昔からある。複線型教育制度を取っている諸外国も、分岐された「職業教育」を「高等教育」で行っているのである。
実は、高専内部では「融合」ではなく「分断」が発生している。A:高専上位陣は正規の「高等教育」である「大学」への流れていく。高専教育では足りないから、そうするのである。つまり、生徒サイドから見て、融合ではなく、「中途半端」であるというにすぎない。B:(本来、中卒時はそこそこ成績がよかったにもかかわらず)あまり学力が高くない中堅以下は、(学問などはどこ吹く風、どこかの企業に勤めらたら、ということで)下級技術者として就職しているのである。繰り返し言っているが、もし、高専が想定する何某かの「中堅的」?教育を行いたければ、①スクリーニングを働かせた単線型教育制度のもとで「専門学校」を充実するか、②中堅以下の大学を複線型的に全部専門学校に転換したうえ、これは「中級」技術職であり進学は想定されていない、とすべきである。
7.「多くの工学部生が落ちこぼれる分野について、高専生はみっちり仕込まれて大学に入ってくるらしい。高専の教授陣の指導力はすごい」
高専自体で既に多くの者が落ちこぼれているではないか(大量の留年退学)。あるいは、専門科目を先行させそれにうまくフィットした「優秀」な「少数派」生徒が大学に入って、落ちこぼれようものなら、それこそ単なるバカである。むしろ、最近は、大学工学部への編入学が増えてきたため、編入生の中に成績が芳しくない者も多いというのが実情である。
全章を通じて述べてきた高専制度の歪さに高専教員の指導力問題も加わる。企業出身者や博士課程修了者が、後期中等教育にある生徒への学習指導や生活指導をうまくできないという問題もあるのである(第4章)。
最先端の研究をしながら、昨日まで高校生だった、教養課程にいた学生を「みっちりしこみ」エンジニアに育て就職の世話までしてくれる日本の大学工学部教授の指導力の方にこそ注目すべきである(アメリカでは必ずしもそうではない)。2年前までは中学生だった大学工学部志望者に、あまねく微積分や古典力学を教え、工学教育の基礎を作ってくれた日本の高校教諭にこそ感謝すべきであろう。
8.「高専卒の技術者は東大・京大卒の技術者よりも優秀だった」
意味不明である
①そもそも、そんなことを言っている者に虚言癖がある。
②入社時、機器操作にだけは長けた高専生と、それに戸惑う大卒の姿しか見ていな
い。そんなことは、入社3か月で逆転できる。あるいは、技能的・定型的・中間
的業務とエンジニアリングを混同している。
③東大・京大の「工学部」は多くのノーベル賞受賞者を生んでいるが、高専からは1
名も輩出していない。
④東大、京大工学部教授陣のほとんどは、いわゆる普通科進学校出身である。
⑤百歩譲っても、1~3期の高専生だけの話。それが伝説化した。
9.「〇〇大学教授になった高専出身者と企業の技師になった普通科経由〇〇大卒」
ーいわゆる高専論法ー
この差は、早くから“シュレーディンガー方程式”に親しんできた高専生と受験勉強に明け暮れてきた普通科出身者の差である!の類の論法である。シュレーディンガーも、彼が学んだウィーン大学も形無しである。物理学はもちろんのこと、電子工学や電気工学を学ぶ大学なら、触れられるこの方程式が、いつしか、高専のものになっているのである(いわゆる「高専論法」)。
10.「高専制度は合う人には合う」
高専は、はやくから「専門」科目に「興味」を持った人たちが行く学校であって、理工系教育を早くから受けたい人にはもってこいの学校であり、合う人には合う学校である・・・。
①例によってだが、そんなことを言っているのは高専生の一部で、嫌いな国語や社会
をやらずに大学工学部に編入できたと言っている「生き残り」である。別に、そん
な人たちはいなくても技術立国は成し遂げられてきた。その生き残りも、別に、普
通の進路を取って(多少、入れる大学の難易度は落ちても)結果は変わらないだろ
う。
②同世代の2~3%しか志望しない学校で、成績上位層の多くは入学辞退、さらに入学
者の2割が退学している時点で、大抵の人には合わない学校であることを先に認識
すべきである。
③高専生のうち、早くから「専門」に「興味」を持って入学している、あるいは入学
後、興味関心をもって学べるようになる者が1割程度はいる。さらに、編入できる
からというのが1割である。2割退学者以外の残り6割は、まぁ就職がいいからと、
レポートだけ出してやり過ごしている者(合うひとには合う、というならこの者た
ち対してだろう)、抜け出そうに抜け出せなくなった者である。そもそも、早くか
ら「専門」に「興味」をもったからといって高専を選ぶ必要は全くなく、もっと広
い視野をもって興味や進路を選択すべきである。世の中のほとんどの人間はそうし
てきている。
④理工系の教育自体の問題として、高専教育はお粗末である。専門基礎教育や一般教
育が不足している。また、圧縮促成栽培的な教育にならざるを得ず、実験設備も貧
弱である。技術者としての「トータル」な素養に問題がある。
愚者は愚者なりに、常識と良識を働かすべきである。