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終章

 私は従順であった。高専は高校と大学と合わせた内容であり、高校と大学のカリキュラム上の重複をなくせば、一般科目も専門科目も大学にも劣らないという。私は、1年経過した頃から、どうもそうではないと感づき始めたが、そうであるなら、自分で補おうと思った。国語については文語文法解説書と文語単語集及び漢文の句形暗記の問題集を揃え(ほぼ全員の高専出身者は古文・漢文が相応に読めるようになった経験を有しない)、数学については授業に沿いながらチャート式や矢野健太郎等の解説型問題集をやった。英語については伊藤和夫「基本英文700選」「英文解釈教室」と単語集を繰り返し(数学と英語については既に述べた。敢えて言うならば、高専生でTOEICのスコアが形式的には高い者でも、難関大学理工系を目指す高校生なら読みこなせる科学論などの抽象度の高い英文は読めないし、英作文も出来ないと思う)、物理については大学理系を目指す者が使用する参考書、例えば渡辺久夫「親切な物理」や竹内均「基礎からよくわかる物理」等をやった(当時の私には、高専の「一般物理」より、この受験参考書の方が記述に深みがあるように思えた。応用物理や理工系専門科目にもよくくっつく)。日本史の授業と称しているが平安時代で終わるような授業のために老舗出版社の教科書や新書を読み、また、生物や理科Ⅰの授業はなかったのでブルーバックスを読んだ(高校生であってもそこまではやらないか?ただ、歴史の教員はいるのに、生物工学系を除いて高専には生物の専任教員は殆どいないことは意外と知られていない。地理分野の専任教員がいたら歴史を教える専任教員がいないという例も多い。高校の教員免許区分では同じであるのだが・・・)。この程度のことは何の自慢にもならないことだ。以上の教科書や参考書をあえて挙げたのは、高校と大学工学部を合わせた以上?の学力水準を喧伝する高専生の一般的学力とやらが、いかにしかるべき水準の高校生の学力内容とかけ離れているかを示したかったからである。確かに、筆者の実感でも首都圏、関西圏、中京圏、東北・北陸などの主要都市出身の高校出身者の多くは以上の参考書または同類の参考書をやりこんでいた。高専側から見たら、むしろ、笑わば笑えのバカバカしさである。しかし、筆者は、高専は高校プラス大学の内容で、仮に足らない部分があっても、高校生にも大学生にも負けない知識を「学生」として「自主学習」する必要がありますという学校側の言葉さえも信じたのであった。そして、実際に自主学習とやらを続けていくと、あまりにも普通の高校生ましてや大学受験生がやっている内容・程度に足りていないことがわかり、怒りが沸いてきた。一般に高専教員の方が名門大学出身者・学位取得者が多いにも関わらず学校カリキュラム思想がそうなっているから、内容・程度が落ちてしまうのである。補うのではない、足りていないことがありありと分かるという結果をもたらしたのである。やるほうが、アホウだったのかも知れない。そして、自主学習しなさいと言っている側も、まさか、多くの生徒が本当に自主学習すると思っていたのであろうか。

(大学受験について一言付け加える。高専からの大学一般入試受験は科目面・時間数・教授内容面でかなりの程度不利だが、逆の効用もあった。地方で、進学校などとおだてられている公立高校の高校教員が行う非合理的・ゴリ押し勉強を回避して、以上のように自分に合った参考書を工夫してこなして行けるという効用もあったのである。逆に、3章で言及したような進学校にいたということだけが自慢の元高校教員の下手な指導などを受けなくて済んだわけである。ただ、国語だけは、教室で古文漢文の読解をしてもらえれれば・・・とは思った。)

 こんな有様だから、いわゆる大学受験に走ったのも無理はない。大学に入って4年間を過ごしたが、その中で、一般教養課程を受けたり、1年生の工学部や理学部入学者が意外に広い視野と専門分野に対する深い関心を持っているのに気付いて、高専とはいったい何だったのか、改めて考えさせられた。

 筆者は、高専から目をそむけ続けていた。しかし、本文で触れた、高専増設論などの無批判な高専礼賛論が再び起き始めていること、さらには、何事もなかったように、つまり高専制度への何の総括もないまま専門職業大学制度ができることが決まったこと、そして、野村正實『学歴主義と労働社会』が出版されたに及び、もう一度、高専とは一体何だったのか整理しておきたくなったのだ。以上で述べた高専教育への疑問と筆者のごとき者の自主学習とやらは、どうでもいいことだとしても、同書やHPで触れられている高専生の進学動機(家庭の経済状況・学歴主義を「内面化」していない、あるいは、できなかった)や学内における境遇(一般教育・教養の軽視)、そして卒業後の処遇(資質優れながら高専の言説を信じ高専卒で終わった者の企業内における処遇など)については、中期以降の高専生についても思い当たる実例がいくつもある。大ありである。ちなみに、筆者のいた東日本地区の高専の学科は、新設学科ということもあって、当時の入試倍率が平均的な高専の学科の倍率の倍の倍率であった。たまたまその年に高専を含む高校入学者に県下一斉テストを課されたことがあったが、そのテストのクラス平均点が県下で5番以内に入っていたと聞いた。つまり、県下1番の進学校に匹敵する学力であった。その学科においてさえ3年生までに2割が退学していった。大学受験のために退学するものも若干いたが、多くは不遇のまま退学していった。こんなことは、高専関係者には珍しくもなんともないことだし、何のネタにもならない。高専側の論理によると、退学者は受験勉強の弊害で高専における自主的な学習態度を身に着けられなかったということになろう。もちろん、そういう面は決して否定できないし、確かに退学していった者の中にはそれがあてはまる者がいた。しかし、いくら何でも多すぎないか、と思うのである。一定水準の大学工学部入学者の2割が専門分野不適合で退学するのであろうか。つまり、どこか、高専制度に内在するものが原因となっていないか?ということなのである。

 私が高専について触れるのはこれが最後になるであろうし、記憶の断片からも消し去りたいと思っている。 

 筆者は、高専礼賛論に対応して、これに批判をぶつけた。良いところとされている点が、逆に致命的な欠点になっている、あるいは、いろいろ宣伝される高専の教育は、高専発祥の独自のものではなく他の教育機関でやってきたことである、という理解である。しかし、高専に対しては同情すべき点もあると考えている。本来は少なくとも大卒に準じるはずだったのに、その後、国がどんどん大学を増設し続け大学進学率が50%を超えるにいたった。その大学の中には、「理工」系大学ならともかく、技能職的な人員養成のための教育機関をして「大学」と称し大学院課程まで持っているというものさえある。また、設立当初からの短期大学側の高専への仕打ちは酷かった。彼らは、自分たちの存在を守るため、「大学」の名の使用を許さなかった。一方、時期が来たら、いつのまにか学位授与権を取得したり、大学に昇格したりした。どれだけの人間が辛酸をなめたことか。高専の悲劇は、ここに始まっているのである。散々、高専生の気質や学力の質を問題にしてきたが、短期大学の生徒の学力などは問題とするにも及ばないほど低いし、世間もそれを知っている。

 高専の地位は相対的に落ちて行った。マイナーになっていった。それ自体はやむを得ない。しかし、国や学校は、高専をして独自の存在である、時にはエリートであるなどと持ち上げてきたが、これはすべてウソなのである。やはり、エラい人は、高専を下級技術者需要を埋める都合のよい存在と考えているのではないか。あるいは複線型教育の実験場にしているのではないか。大学生が増えて就職難になったら、やっぱり高専だと言い始める変わり身の早さ・・・愚かとしか言いようがない。進学高専などというのは、あるいは、これらの仕打ち対する無言の批判であると考えたら、少しは、理解出来る。また、もしかしたら、世の多くの人は、専門職業大学を18歳から始まる高専ぐらいに考えていて、専門職業大学と高専は、結局、一般人には一緒にされており、どうでもいいことなかもしれない。高専への認識はその程度のものなのだ。

 教員には親切な人が多かったし、劣悪そのものの環境の中で研究に勤しんでいた人も多くいた。教員が、この学校を選んだ者のために最善を尽くし、こんないい学生がいると宣伝するのは人間として当たり前の行為であるが、筆者の数々の高専批判がこれに水を差しているのは間違いないだろうし、あえて言うなら、水を差すのが目的である。ただ、彼ら教員の名誉のために言っておくと、確かに設立後10年経過したぐらいから、専攻科設置の話題が上がるまでの間は、高等教育機関で教授研究するのに疑問符のつく人たちが増えてきた時期があったのは否定できないが、平均すれば、高専の教員になるのは、能力面で考えて短期大学よりも狭き門である。短期大学の方がはるかに広き門である。そもそも生き馬の目を抜く工学分野における研究者と多くの短大教員を比較するのも失礼な話である。鷲田小彌太『大学教授になる方法』では、T高専の一般科目担当教員は全員東大と東京教育大出であるなどの事例を挙げながら、「短大は広き門」「高専は広き門にあらず」と明言している。それでも高専の教員が本来の能力よりも能力を伸ばせなかったのは、彼らが生徒同様に狭い世界に閉じ込められたことも一つの原因である(但し、初期生は時代背景があるから別として、特に、中期以降の高専生え抜き・技科大出身教員は外の世界を知らないまま、下手をすると、幼稚なまま知的な向上のないまま専門家などと称している者も多い。ちょっと成績がよくて人柄に難がないというだけで、自校に戻してもらったのではないかという例はいくつも見た。もっとも大学でも教授お気に入りで助手・助教採用という例もあるにはあった。ただし、高専の場合、15歳から特殊なそこしか知らず外部転出もほとんどないという意味でより深刻である。筆者は、逆に”生え抜き”にこそ疑問を持っている)。また、例えば実務家教員に形式的に学位を要求するのは間違っているだろう。さらに、高専には若年層が在学しているため厚生指導・生活指導も必要であったことも忘れてはならない。彼らの研究者・企業人・教育者として仕事は個別に救い出して評価すべきである。

  企業側から見て高専生は「素直」「純朴」であるという評価がなされることがある。筆者の印象では、そういう生徒の比率は3割に満たない。高専生は「専門科目に優れる」という評価がなされることがあるが、その生徒の比率は2割未満で、「素直」「純朴」な生徒に重なる。本当に優秀なのは1割未満である。このせいぜい多くても2割程度の割合の生徒の存在がーその多くは家庭の経済力が低いー企業側の肯定的な評価につながっている。入学当初はこれらの割合はもう少し多かったはずなのだが、結果的にその程度の割合に落ち着くのも、また、高専教育の特質である。教員側もこの少ない割合の生徒のために、彼らは大学に行かないけど専門科目をしっかり学ばせたい等と思って頑張るが、そこには、かなり“憐憫”の情が混じっている。ちなみに、家庭の経済力が低い層を救い出すには、奨学金・なかんづく給付型奨学金を充実させれば済むことである(野村氏もそう考えている。何を隠そう私筆者も決して豊かとは言えない家庭の出身である。また、学歴主義が成立したとされる1960年代半ば以降、だいぶ経過した時代に、私は学歴主義を「内面化」出来ていなかった。)。また、既に述べた通り1期から7期8期あたりまでの集団としての高専生の優秀ぶりは直の話を聞いたことある。あるいは、時代をやや下れば、技科大設置前頃までの年代にも奇才・超秀才が入学してきたが、7期8期までよりはかなり母数が劣るようになったという述懐も聞いたことがある。そして、1期から3期あたりになると、もはや"別格"である。このすこぶる優秀層は専門科目に秀でていたが、ある程度の知性も持ち合わせていたように思う。教員の述懐や、学校史等から、概ね、そのように見てよいと思う。もちろん、高校生や大学生そのものの気質の変化も考慮に入れるべきだが、高専の場合、その変化がいかにも急激だと思うのである。このことは、特に地方、今のギリギリ50代半ば以上の年代までは、職業高校を選択した優秀層も多くいたが、その後、この割合が急激に減少したことと一致している。大学に行く場合でも、一般入試で突破した者が多かった。5期あたりからわずかに編入試験が認められるようになっても、当時は一般的ではなく極めて限られた大学で限られた人数しか合格せず、内容的にも非常に難関の試験であった。そのため、やはり、一般入試を受けることが多かった。皮肉にも、彼らが大学入試をすればしかるべき結果を残せることも、当時の高専生の学力水準の高さを証明していることなる。この初期高専生の存在は高専関係者にとっては”憧憬”となっているが、逆に、時代が生み出した限定的な現象であったことを忘れてはならない。繰り返し言及する野村・前掲書における個人的体験の述懐の主意の一つはこの”時代性”にあると思う。

 ところで、筆者は引用した書物の関係もあって「下級」技術者の表現を無批判に使った。技術に上級も下級もないという者もあるだろう。では、中堅の「中」は何だったのか。中はよくて、上下はダメなのであろうか。「中」は「真ん中」のことだというかもしれないが、真ん中があれば「周辺」「亜流」があるのだから同じことである。ご自分たちは専門学校よりは「上」といっているが、その「上」とは何なのか。「大」企業に入れるというが、「中小」企業ではダメなのであろうか。

 中学校で進路指導に携わる人、進学塾の人たちには、この拙いブログを材料にしてよく考えてもらいたい。言えるのはそこまでである。高校の進路指導担当者で自分の生徒に理工系志望者があった場合には、これまで通り自信をもって「いい大学」「実力のある大学」への学習指導・進路指導をしてもらいたいと思う。ここで「学歴主義」についてであるが、これは別の見方をすると、自分に能力があるというのであれば日本における大学入試や競争的試験程度のことは突破して見せよという程度のことに過ぎない。万が一、Aの大学を落ちてそれよりワンランク下のB大学卒業生であったとしても、その程度の差は、実社会で埋められる。日本の大企業・製造業には数多くの地方国立大学や私立大学出身のトップが存在する。日本には学歴主義が厳として存在するが、それは比較的緩やかにして公正なのだ。しかるべき水準以上の能力・学力がある者は、堂々この競争に参加すればよいと思う。そして、進路指導の際には、筆者のような者でも、自習でそこそこの水準には到達できることも思い出してほしい。

 高専批判の第一の対象は、これが生み出した、自称専門家や制度に便乗した人間たちである。敢えてそう言わねばならない。「3割に満たない」「純朴な」「高専卒」の人たちよ、許してほしい。もちろん、入学者の資質が下がっているとはいっても、高専入学者が入学時に潜在能力の面で無能だという気はない。しかし、多くのそのようになってしまった、あるいは、多くのそのようなものになるとわかっていた人たちを批判しているのである。現在でも、高専の体制や雰囲気に大きな疑問を持ちながらもーあるいは、卒業後にやっと大いなる矛盾に気づくこともあるがーそれこそ、教員との個人的接触で勉学研究意欲を保っている者も絶えなくして僅かにある。逆にこの僅かにある人たちをダシに高専教育を礼賛することは許されないのである。また、7期~8期を含む初期高専生に超秀才あるいは天才が存在しことは、繰り返すが、”時代性”が生み出したものである。天才達もいたに違いないのである。しかし、天才はどこにいても天才なのである。第二に、筆者は高専という「制度」自体にも勿論反対である。これに一部の才能ある生徒・研究者としても優れた教員がいるということとは別である。この生徒や教員は、他の機関でも、否、他の機関であればより活躍できたのでないだろうか。非常に心苦しいが、この優れた生徒や教員であればこそ主張する高専礼賛をも、筆者は徹底的に批判したかったのである。罵詈雑言、主観・推測もあったが、そんなに間違ったことは言っていないと思う。

 最後になるが、高専出身者は英語ができない、教養がない、にかこつけて、あるいは、ある試案にかこつけて、渡部・平泉「英語教育大論争」を掲げたのは、暗喩になっていることをお断りしておきたい。

 

 

 

 

 

 

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第10章ー実践教育は高専の独占物ではないー

 高専教育の残る拠り所は、「実践的」「実習重視」「即戦力」ということになろう。特に、実習重視は設立当初から行われてきたことであり、確かに時間数が多い。高専は、大学との差をこのような教育目標に求めてきた。ところが、このような、教育目標は、実は、明治時代に体系的な工学教育が始まったときから言われていることなのであり、何も高専発祥のものではない。確かに、各種の工業系の学校が大学に昇格するにつれて、この「実習」「実践」(以下、旧来の使用法にならい「実技」と称する場合がある)の価値が薄れていった時期はあるが、これが致命的な効果をもたらしたのであろうか?ここでは『東京工業大学百年史 通史』(以下『百年史』)を題材として選び考えてみたい。工業教育史・研究史には厚い研究が積まれているだろし、下記の内容程度のことは理工学を学んだ者なら周知のことであろうが、仮定的に以下のような問題点を指摘しておきたい(なお、実技・実践的な教育をする学校設立の要請は経済界から出ていたものであるが、この要請と立法および政策形成過程の関係性についてはいくつか研究があるようである)。

1.製作学教場から東京職工学校、そして、実業専門学校へ。

 『百年史』では、事始めに、東工大の前身である工部大学校の編成上の主義としては、ドイツ・フランス流の「学理中心の教育」とイギリスの「実技中心の教育」の折衷がなされたのだという(9頁)。ところが、大学制度が確立されるにつれて様相が変わってくる。実技も大事であるはずの工学教育において、実技的要素が大学教育の現場から薄れていったのである。そこで、かの手島精一は自らが守ってきた「製作学教場」の理念を引き継いだ中等程度の工業技術の教授を目的とする工業学校の設立を熱心に建議し、ついには、東京職工学校設立に至ったのである(24頁以下)。この職工学校の教育編成には、「実技」「速成」なる用語が見え、職工学校は実習中心教育、速成教育が明確に謳われていて、帝国大学とは役割が異なった(89頁)。

 その後、「職工」という言葉へ誤解と教育内容の実際から、校名は東京工業学校となる(113頁)。さらに各県に(中等)工業学校が設立されていくにおよび実業学校令が制定される一方、実践的な工業教育の先駆者である東京工業学校は専門学校令による実業専門学校になった(193頁)。ついには、大学昇格運動が起こり、東京工業学校は戦前には東京工業大学となることは周知のとおりである。この大学昇格に際して専門学校的なカリキュラムが見直され、工業に関する広範囲な研究と教育を目的とするにふさわしいカリキュラムとなっていった。

 一方、戦前において、実業専門学校の全てが大学への昇格したわけではない。各地方には特色ある実業専門学校が設立され確立されていた。この実業専門学校のうち工業系は、実験実習(製図を含む)が重視され、週39時間の授業のうち、3分の1程度がこれに当てられたという。また外国語を除き教養科目はほとんどなかった(天野郁夫『高等教育の時代(下)』231頁~233頁)。言うなれば、東京工業学校的な教育理念は各地に波及していたのである。また、地方の実業専門学校において重要なことは、成長する産業資本のより直接的な人材養成が深くかかわっていたことである。例えば、秋田県における鉱山、群馬県における染織は有名で、その地区の工業専門学校は校名にその分野の産業名を冠し、かつ、その卒業生はその産業分野のリーダーとなっていったのである(天野郁夫『大学の誕生(下)』154頁)。

2.旧制実業専門学校の理念は新制大学工学部で失われていない

 以上に概観したように、日本の大学レベルの工業教育が、最初から、実技教育を軽視してきたわけではない(『百年史』はイギリスの実技中心教育に言及しているが、そのイギリスでは、技術教育は「機械工講習所」に始まり、技術カレッジ設置、大学への技術教育導入と進んできたのである(E.アシュビー著/島田雄次郎訳『科学革命と大学』83頁以下))。もっとも、制度が確立するにつれて大学が学理重視の研究教育に移行していくが、逆に今度は、実技教育こそ重視しなければならないとして東京工業学校やその後に続く実業専門学校が発展したのである。また、それらの学校における実習時間数も申し分ない。先ずはこのことを確認せねばなるまい。

 次に、確かに、東京工業学校は戦前にいち早く大学となり、実業専門学校も戦後ほとんどすべて大学となり、上述のようにカリキュラムが大学の研究教育用に編成されていくから、実技的要素が薄くなった可能性はある。しかし、以上の工業教育の変遷を見たときに、高等教育工業教育に実技教育を軽んじる風潮が蔓延しこれが“確定”したとは言い難い。

 例えば、制度上は専門学校である早稲田の理工科が当初は「実用」を重視し高等工業をモデルにしていたが、「大学」の名称に憧れた学生からその実用重視や高等工業学校出の教員に不満を持ったりしたということもあったが(天野郁夫『大学の誕生(下)』108頁)、これは早稲田の「大学志向」が一時的に実用教育を軽んじようとする風潮を生み出したことを示している。同様のことは、地方の官立実業専門学校にも見られる。官立の旧制実業専門学校が大学に昇格する際には、大学昇格にふさわしく「一般教養の重視」するカリキュラムが組まれた。例えば、後発ながら官立の旧制実業専門学校からの歴史を有する新制鹿児島大学工学部のカリキュラムは、教養科目が1年半54単位である一方、専門科目が2年半93単位・うち実習科目が4分の1程度であるから(神田嘉延「鹿児島大学工学部の創設期の教育状況―稲盛和夫の学生時代の背景」鹿児島大学稲盛アカデミー研究紀要の巻末に掲げられた昭和35年・同大学工学部応用化学科カリキュラム表。これは昭和35年時のものであるが、証言から昭和20年半ば頃とほとんど変わっていないという。実際のカリキュラム表が掲載されていることから引用した。但し、本稿には、用語・固有名詞に混乱が見られる)、旧制実業専門学校に外国語を除き教養科目が存在せず、3年間で実技が3分の1であったのと比べると実技の割合が少ない。しかし、この鹿児島大学工学部の例で見たときに、実技科目は減ったが、決して致命的ではなく一定水準は保っているし(専門科目単位の4分の1)、実験に力が入れられなかったのは、昭和30年を過ぎてもなお日本は貧しく実験設備がままならなかったことも考慮すべきである。逆に、器具も無い、何も無い中で、教授と学生が協力して機器を手作りしなければならないという(前掲・神田263頁)、ある意味では、最大限に「実践力」を要する場面に向き合えたのである。さらに、この鹿児島大学工学部の例で見逃せないのは、他学科の科目を自由科目として履修できることで(実際は、人員不足でそうせざるを得なかった面もがあるだろう)、ツブシが利く結果にもなった。

 早稲田の例は早稲田らしいと言えばそうかもしれないが、この鹿児島大学の例は、おそらく、多くの戦後直後に設立の新制大学工学部や私立理工系大学にもあてはまるのではないだろうか。仮説的だが、東京工業学校がそうであったように、昭和30年以降も大学工学部はその“内部”において学理偏重への反動を内包し続けてきたのではないか。これが工学という学問の性質上当然起こるべくして起こるのではないか。先発の官立工業専門学校の後継校はどうだったのか。先の秋田大学鉱山学部はどうだったのか。あるいは、信州大学繊維学部はどうだったのか、あるいは東京農工大学はどうだったのか、あるいは東京や関西の伝統理工系大学群はどうだったのか、を丹念に調べていく必要があるだろう。

 もっとも、仮に大学工学部卒に実践力の低下が見られるとしても、その実践力の低下は、企業社会の実地に入れば縮まることも考慮すべきである。日本企業における企業内教育やOJTは有名であるし、高度成長期の時期では、とにかく人が入ってくれれば、どうにかモノになる人材が育っていったのである。そして、現在では、科学技術の急速な進歩によって、工学教育が長期化・後ろ倒しされている。現在の修士課程の教育は工学者になるためのあるのではなく事実上「実践」の場となっている。大学院修士課程修了者の大量採用はこれを反映している。早め実技を教えるメリットが少なくなっているのである。また、教養部改革によって専門科目の導入に工夫が見られるようになった。例えば、専門科目の基礎を前倒しして、学部後半は実習や研究に大きな時間を取ることも可能になったのである。

3.高専の意義は何だったのか

 確かに、産業界は、旧制専門学校等に比較しての新制大学工学部卒の専門的能力に不満を抱いていてもいた。これが、新たな学校設立の契機となっている(天野郁夫・前掲『日本的大学像を求めて』214頁以下)。ところが、上で見たように、産業界と同じ問題意識をもった、あるいは産業界の要請を受けた大学関係者や当局の取り組みが、タイムラグを生じながらも功を奏し、産業界の不満は意外に早く解決され、その継続期間も短かったではあるまいか。また、高専設立の昭和38年頃には、旧制実業専門学校の伝統を持たない新設の国公私立大学工学部も大量に増設されているが、これらの新設大学工学部が産業界の要請を無視したはずがない。

 大卒も実技教育を受けていないわけではないし、むしろ、実技教育に回帰し、さらに彼らが企業で実務を積むうちに、実践力の差が縮まってくる。そうこうしているうちに、工学教育の主流は大学院修士に移っていくことで、産業界の不満は時の経過とともにいよいよ薄れていく。産業界特に大企業が、その後大学工学部卒に対して不満を表明し続けたというデータがあるのであろうか。また、高専卒の中には研究開発部門における実力を認められた者も多かったであろうが、何しろ、大卒大量採用の時代であり、高専の割合は大きくないので全体における効果のほどが計量しがたい。新制大学工学部卒に不満を持ったはずの産業界は、新制大学工学部卒に“代えて”まで、そのすばらしい高専卒のさらなる“大量供給”を要求してはいない。   

 「実践力」「実技」の能力の差は大卒と高専卒とで相対的に留まったのである。そして、野村氏も指摘するように、「中堅技術者」を定義できなかった高専は1981年に至ってやっと高専は「実践的技術者」を養成する学校であるとしたが、逆に言うとそれまで、高専は明確な教育目標を持っていなかったことになる(野村正實『学歴主義と労働社会』98頁)。つまり、期待される能力と立ち位置が曖昧な高専卒は、時には現業職に近い部門に、時には中間部門、時には研究開発職にと、確かに実践力自体はあるから、企業側に穴埋め的・階層的に使われたのではあるまいか(筆者は野村氏には是非とも高専卒の実技能力・実践力と職層・職階・労働内容との関係性あるいは無関係性について研究して頂きたかった)。次第に今度は、大学工学部卒さえもどこにでも行かされるようになるのであるが、逆に、どこにでも行かされる大学工学部卒が増えてくると、高専卒の方は徐々に周辺的・補助的・現業的部門(作業的・反復的業務の者に工学分野の専門知識があった方が望ましいというのなら、そのような措置は昔からなされている)に配置される結果ととなる・・・。

 あの「実践的教育がよかった」と思うのは全く自由だが、 旧制工業専門学校の歴史を有する地方国立大学・私立大学を無視して、宣伝に使える文句ではないのである。筆者もよくわかるのだが、高専においては特に初期から中期にかけて、旧制工業専門学校出身者が多数存在した。彼らの多くは企業で技手から出発して技師となった経歴を持っていた。彼らが、高専生に向かって「中堅技術者たれ」と言っていたのでる。

4.旧制専門学校の大学昇格熱の冷却―高専と同じ轍―

 ここで、旧制実業専門学校のついて、ある事実を見ておきたい(以下、天野郁夫・前掲・『高等教育の時代(下)』334~335頁)。

 大正10年教育評議会において専門学校改革が議題にとりあげられた。そこでの議題の主なものは専門学校における①学士号の授与と②専攻科設置問題だった。天野によれば、この専攻科設置の狙いは専門学校卒業生の向学心を満たすことではなく、官立専門学校の間に高揚した大学昇格熱の冷却をはかることにあったという。

 まるで、現在の高専における問題と同じことが既に大正時代に旧制専門学校で起こっていたのである!そして現在の我々は、前章で挙げたcool downそしてcool out がその中身の学生に対してだけでなく、高専という学校制度そのものにも向けられていることを知るのである。

 高専関係者が好む「5年一貫」「楔形」の主張も、結局は、後期中等教育の年代を含む青年が存在することを理由に昇格を冷却させる根拠となるだろう。それだけならまだよいし、筆者も高専が一般大学に昇格することや、大学増設に価値を見出していない(職業専門大学への合流・転換は認める)。また、確かに高専における「実技」「実践」科目の割合の多さは評価材料にはなる。しかし、工学教育において万人が共有し続けてきた「実技」「実践」の価値が、高専のそのままの“存続”と“冷却”の隠れ蓑に使われることは憂慮している。これは戦前から既に科学技術立国・ものづくり大国であった我が国そのものにとっても許しがたいことなのだ。

 

 

第9章-複線化への覚悟があるのか、複線化の意味がわかっているのかー

1.天野提案・職業高校昇格による公立高専増加とその問題点

 実は、天野郁夫『日本的大学像を求めて』(230頁)においては、地方公共団体が地方の職業高校の年限を2年延長した形で公立高専をもっと作ってはどうかという、提案が示されている。この1991年出版のこの論考は、高専関係者に対してなされた講演が元になっているというから、高専関係者には馴染みが深いものであるはずだし、先に問題にした与党案もこれに近いことを言っている。

 高専増設策そのものについて、前章までで、その理由付けや効果に大変問題が多いことを指摘した。

 ただ、天野自身はこの公立高専増設策に可能性を感じていたようであるから、再度、別の観点から、天野の提案に疑問を呈しておきたい。第一に、天野は「進学者の強い普通科志向からすれば、問題となるのは(地盤沈下した)職業科ということになりますが、・・・」と述べ、普通科の方に問題が無いかのような認識を示していることである。ところが、人気が落ち、天野が言うように「地盤沈下した」とは言っても、職業科の生徒はその分野の職業教育に入っており、今でも現業職や地場中堅職に限定された割合とはいえ一定の引き手があるのであって、職業科に問題が生じるとすれば、不況時などにおける進路確保の問題と望んだ場合の継続教育が問題のメインとなる。ところが、前章までで述べたように、中堅下位の普通科高校卒業生こそ職業教育が問題となるはずなのに、天野はそのことをあまり意識していない。進学者の強い普通科志向を肯定するというなら、その後の、つまり18歳時以降の彼らの職業教育こそ充実させるべきである。逆に中堅下位の普通科高校が多すぎるから、その代わりに高専を増やすべきというならまだ分かるが(ただし、これについても、前章までで述べた疑問がそのまま当てはまる)、その県で伝統がありいまだに一定の機能を果たしている職業高校を改編して高専にするというのでは何の解決にもなっていない。唯一の効果は、その増えた高専の中で国立高専が中心的に存在になれるという、既存高専のはかない権威化だけである。第二も「普通科志向」に関連している。普通科志向は基本的にその卒業後の高等教育に結びつき、政策的には大学教育の増設に向かうはずである。近時の大学増設はこの「普通科志向」が原因となっているのである。ところが、大学進学率が上昇すればするほど、高専卒の地位が相対的に低下することになるが、これは天野自身が指摘してきた重大問題ではないか。

2.複線型としての高専

 天野提案が出たついでに、日本社会の根本にかかわる問題を指摘しなければならない

 仮に、本当に仮の話であるが、高専増設・充実化が進めば、①普通科高校、②職業高校、③高専という形で、本格的な教育制度の複線化・分岐化をもたらすであろう。高専は複線型・分岐型モデルの先行型ではあったが、これまで、あまりにも就学人口に占める割合が低いため、高専1つあったからといって、複線型・分岐型モデルが確立していたとは言いがたいからである。与党案のそもそもの意図も、アメリカのような6-3-3-4の単線型教育制度への疑問を出発点にしている。戦前の日本の教育制度が複線型で、高等小学校、旧制中学、高女、実業学校、旧制高校旧制専門学校旧制大学といった形で各種コースが分かれていたし(ただし、中等教育以降に進むものが非常に少ないので現代の制度とは比較しにくい)、だいぶ様相が変わってきたといえ、ヨーロッパではドイツが代表的だが複線型・分岐型である。これは筆者が言うまでも無いだろう。しかし、日本では、高等教育以降は大学、短大、あるいは新設の職業専門大学、専門学校といった形である程度多様化しているので、ここで問題にすべきは、高専増設の規模次第では、15歳という早期、そして青少年が多感な時期に、いよいよ戦前日本又はドイツ並みに複線化・分岐化が始まるということなのである。

 一般論としては、日本には多様化の基礎自体はあると筆者は考えている。

 ドイツでは、子供たちの就学コースは、成績評価や彼らの職業意識によって、①昔なら中学生になる前という早期に、②3つの独立区分化されたコースに枝分かれしていく(教育制度論や教育行政学等の教科書で参照出来る)。これにはドイツ国民の伝統意識が強く働いていて、職人は職人の道に誇りをもつ、一方、ギムナジウムに行く者もあるが、彼らは、相互の進路にあまり関心がないという、二分化された意識である(西尾幹二『日本の教育ドイツの教育』104頁以下)。もちろん、今日では、この意識やこれを前提とした仕組みはかなり変わってきているらしいし、制度的には、複線型・分岐型への反省や複線コース相互の交流も保証されているようであるが、ドイツ・ヨーロッパに少なくとも強く根付いていた意識であったのは間違いない。では日本はどうなのか。確かに、日本でも、ドイツと同様の意識を持った者も結構多い。そもそも高専改革案を作った与党関係者がそのような二分論を理想としている。地方では、大学など行くより、手に職をつけて、という者が多いように思う。これは韓国などと比べれればわかることで、韓国のように全国民が一斉に一流大学を目指したり、人気のある職業に殺到するという事態までは生じていない。しかし、混在しているというか、同じぐらいの比率で、自分の能力に係らず、先ずは普通科高校(天野の言う「進学者の強い普通科志向からすれば、問題となるのは職業科ということになりますが、・・・」の、その普通科志向)、とりあえず大学(大学進学率は50%を越え、その大学とやらは、東大から定員割れの無名校まで、同一資格)という事態も進んでいるのである。しかし、半々という、そういう意味では、多様化の基礎はまだ残っていると言うことになるかもしれないが、徹底されていない。

 しかし、ここからが、日本らしいところだと思うのは、15歳以降で、進学高校と職業高校の違いがあるが、これがドイツのように、コース別に“目に見える形で”区分化されていないことである。目的のみが異なるという建前なのである。進学高校と職業高校で使う数学や英語の教科書が実際は異なるが(一般に進学高校のほうがページ数も内容も厚い)、それは目的が違うと言う建前で成り立っているから、これは進学校用、これは職業高校用というふうに教科書に表示されているわけではない。つまり、両者はあくまで6-3-3の単線コース上にあり、目的こそ違えど、単線に乗っていることで精神の安定さえも保っている。ところが、高専は違う。高校コースとは異なる枠外にある。普通科と職業科を微妙に分ける単線型コースの枠外にある。第一に、それは5年制であり姿かたちが全く異なる。第二に、高専のみが理念として高等教育までの完成性・完結性がある。創立初期の高専に進学してきた生徒が、進学校から大学進学を選びうるにもかかわらず、あえて高専を選んだが、そこでぶち当たった袋小路や企業迎合教育という現実に闘争を起こしたことは既に述べた(第三章参照)。なるほど、普通科大学進学コース・普通科就職コース・職業科就職コースがあるらしいのは、当時の高専生も意識していた。ところが、高専のみ区分化されている。そして、その区分化はドイツの区分化された仕組みより残酷に作用した。というのは、さすがのドイツも、各コースに生徒を振り分けるのには、成績評価を使う。仮に、成績評価に関係なく、職人の子は職人という道徳に従う場合でも、かれらは伝統意識として他人の進路に関心が無い。ところが、当の高専生は、進学校から大学進学を選びうる水準だったし、既に述べたように、他人のコースに関心が全く無いというほどには、多様化は徹底したものではなかった。野村氏流に言えば、成績のいい子は当然に進学校から大学へ進学すべきであるという学歴主義が成立していない時期に、その資格自体はあるにもかかわらず高専を選び、それを何と思わなかったが、学歴主義が先んじて完成していた大企業の現実に接してしまった、ということになろうか(野村正實『学歴主義と労働社会』101頁参照)。

 日本社会には多様性の基礎はあるにはあるが、徹底していない。そこで“目に見える”区分化されたコースを作るという意味での多様化までは馴染まないところだが、高専とはそういう性質をもっていた。そして、あたらしい区分としての、独自の仕組みとしての高専が確立されればされるほど、そして数が増えれば増えるほど、今度は、職業教育という目的だけは高専に近い職業高校は、普通科高校との微妙な関係から引き離され、かくして、①普通高校、②高専、③職業高校の3区分化・複線化されていくのではあるまいか。高専が増えていくということは、このようなことを意味している。しかも、それは、15歳という、まだ、自分の能力や進路決定に自身が持てない時期に始まる。

3.複線化への覚悟があるのかー“目に見える”区分化

 教育制度の複線化・分岐化というのは、日本の国民が人間の意識の問題として、以上のような早期の区分化・分岐化に耐えられるのかということを問うている。西尾幹二が『教育と自由』において「日本の現代社会には多様性がない。従って学校制度だけ多様化しても、社会にはそれを支える根がない。そのため制度面での『多様化』の試みは、結果的には、おおむね『多層化』に終わる。社会のこの体質にあくまで制度で抵抗すれば、関係の子供たちを徒らに苦しめることになるだけである」と述べたことは既に触れた。筆者は、この西尾の分析を次のように解釈している。つまり、こういうことである。日本では、少なくとも進むべき道・生き方に多様性を認める考えが残っているのではないかと述べた。この点は西尾の理解と異なる。しかし、西尾の言うとおり、多様性の果ての多層性を受け入れて平然と生き抜き、これが自分の歩み道、他人は他人と割り切れるまでには至らない。代わりに、単線化された一見平等の中での、序列化又は整序化は受け入れ、この中に安定する。西尾・前掲『日本の教育ドイツの教育』はそういう文脈で読むことが出来る。

 15歳少年あるいは15歳少年の父母も、さすがに、自分らが他のみんなと同じルートを歩めるとは思っていない。しかし、一見明白に異なった別ルートを歩み、歩ませ、自分は自分、他人は他人、自分の子は自分の子、他人の子は他人の子と割り切れるまでには至らない。単線型ルートの中に、微妙に進学高校と職業高校を配置していったのは、あるいは、同じ「大学」の名の中に、大学と職業専門大学や短期大学を配置する考えが示されたのは、やはり、理由があることだったのだ。

 複線化せよ、相互乗り入れができればいいのだから、という者もあるかも知れない。なるほどそうだろう。しかし、今度は、今問題にしている高専をみるがいい。区分化されたコースに納得して入ったつもりの彼らこそが、相互乗り入れの権利を得た後でさっそく自分たちが入る大学を作らせ、ついには、大学入学競争をしているではないか。これは、彼らのエゴというよりも制度に内在する問題である。複線化の意味がなくなるなら最初からやらなければいいことであるし、複線化されたコース間を動くというのは、精神の自由として複線化を受け入れるのと同様の気力を要するのであるから、先ずは、複線化の設定問題は重要なのである。むしろ、微妙な位置づけで厳格には区分化されていない職業高校の方が精神の安寧を保って職業生活ないしそのための延長教育に素直に入っていっているというのも逆説的である。この辺が、ドイツと違うところである。ここまで考えたときに、つまり、たとえ複線化・分岐化の努力をしようとも、今度は複線化・分岐化された各コースから高次の高等教育(大学)への要求が生まれてくるという現象を見たときに、なるほどマーチン・トロウの有名な高等教育(大学)三段階発展説―エリートからマスへ、ついには、ユニバーサル化―は正しいと思えてくるのである。

 なお、アメリカでは、コミュニティカレッジは職業教育重視、州立大学は比較的実践的教育重視、リベルラルアーツカレッジは教養重視で専門教育を後倒しし、いわゆる名門総合研究型大学はその名のとおりの働きを中心とするが、少年期からの分岐化つまり複線化をしているわけではない。あたかも、日本の旧帝大、地方国立大学、私立総合大学、国公私立単科大学、短期大学の差のイメージに近いのではあるまいか。ただし、リベラルアーツカレッジの存在は、多様化でも階層的でもなく、“階級的”という可能性はあるが、そこまで論じるのはここでの目的ではない。

4.15歳からの複線化の意味

 日本には、大学・職業専門大学・短期大学もあるが専修学校がある、アメリカでも総合大学やリベラルアーツカレッジのほかに、コミュニティカレッジがあるから、どのみち、事実上の複線化ではないかと言うかも知れない。

 高等教育からの多様化を、教育制度論上、「複線化」と位置づけてよいかは筆者もよく理解出来ない部分があるが、複線化とは、時期的・時系列的価値を含む概念である。例えば、藤田英典『教育改革』100頁では、「教育機会という点で重要なことは、どの時点からカリキュラムを異にする学校タイプに分かれているか、どの時点で重要な選抜・振り分けが行われているか」であるという。(かつての)ドイツの進路選択の例で、日本人が驚くのは、複線化そのものに加えて「10歳」という、その時期なのであった。また、人生が「20歳」から分岐化すると言われても、なるほどそうだと思うしかないだろう。

 繰り返すが、我々の生き方に様々な可能性をあるとして15歳で自分の道を決められるであろうか。人間の知的能力や精神の発達はこの15歳から18歳の間に最も伸びるのである。多少抽象的な内容の本に手を出して読み出すのもこの時期である。この時期は潜在能力を伸ばす為の教育を受けるのが最適である。例えば、一定の可能性のある青少年がこの時期に一般的な学力を高めておけば、その後にしかるべき機会があるときに、どのような道にも参加のチャンスがある。逆に15歳で絵を書くことしか学んでいなかったどうであろうか。自分やその親も一定以上の期待可能性があるなら、この時期はそうしたいと願うのは当然のことだ。ところが、複線化というのは、「あえてこの時期に」、成績や社会意識によって区分化する方が、「わずかの可能性しかないならば」「他の世界に未練を残すより」幸せであるという、考え方の具体化である。この「あえてこの時期」にという早いか遅いかの視点と、先に述べた「目に見える」かどうかという点が、区分化の最重要要素なのであると考える。

 人間の進路選択における、機会の平等性、青少年の心理面、選択の効率性、進路変更の機会確保などの点で、複線型と単線型は対抗関係にあること(藤田・前掲書119頁以下。ちなみに、ヨーロッパ(ドイツ)・モデルとアメリカ・モデルの相克は明治時代の早い段階からあったのである(天野郁夫『高等教育の時代(下)』340頁))、一般に複線型より単線型の方が青少年の発達に柔軟な対応が出来るのではないかということは、よくよく頭に入れて置いた方がよい。ところが、この意味を軽く考え、人間は15歳くらいから自我に目覚め多様な考えをもつにいたるから、制度も15歳くらいから多様化すれば良い、程度の認識では困るのだ。

 そうすると、例えば、日本の18歳入学の専修学校生が、階層性に巻き込まれているかといえば、巻き込まれているに違いないのだが、しかし、その深刻度は、15歳時よりは圧倒的に小さい。筆者は、大人になろうとする自分の“能力への得心と納得”は15歳と18歳で異なるとしたのであった。先の藤田・前掲書「どの時点から」というのは、このことだろうと考えている。

 なお、付言しておくと、発達段階との関係で複線化の時期が決まるという事情のほかに、今日の産業の高度化・自動化によって、15歳からの熟練を要する業務は極めて少なくなっているなどの、産業構造の変化との関係も視野に入れるべきである。あたかも、ドイツの複線型コースは有名なマイスター制度と連動しているが、このマイスター制度がドイツの産業構造の変化に縛りを掛けてきたという指摘は有名である。技能的熟練に限らず、科学技術分野についても、その急速な進歩によって、科学技術教育が長期化・後ろ倒しになっていることを考えなければならない。

5.多様な生き方への尖兵役?

 西尾・前掲書195頁は、「高校教育に耐えられない能力の生徒が、目に見えない圧力から高校に進学せざる得ない状況にこそ、じつは日本社会に関係の深い深刻な悩みがある」とした。本来なら、勉強以外の価値で自分を発見し、これへの自信で、自分は自分の価値観で社会に巣立ち生活を成り立たせてもよい人たちが、「勉強」という価値で進学競争に参加させられていることこそ不幸なのであると。きわめて重要な指摘である。それどころか、現代の日本では、高校までが義務教育化し、今度は「大学」レベルでこの指摘が当てはまる状況がある。

 日本では偏差値による均一化された進路設定が昔から問題とされてきた。もっとも、東大にいけなければ、他の旧帝大や名門私学がある。それもダメなら実力のある地方国立大学という選択肢がある。偏差値による輪切りは、例えば、東大最下位層とそれにギリギリ及ばなかった層とを輪切りにしているが、高学力層の中にも各層があるという程度のことに過ぎない。しかし、偏差値輪切りにされた最下位層には残酷に作用する。偏差値教育の最大の弊害は、学力基準による区分けを最上位層にまで及ぼしたことよりも、最下位層にまで及ぼしたことの方に大きく作用した。昭和50年代の校内暴力や非行等の教育荒廃の原因が仮に偏差値教育によるものだとしたら、その問題を引き起こしたのは、まさに学力最下位層だったのである。当時のマスコミによる偏差値教育批判は、上澄みの受験教育や東大批判を行っているケースが多く問題を混同している(昭和58年発刊のNHK取材班『日本の条件 教育②』等を参照されたい)

 例えば中学校を卒業して料理人になることも大変立派な道である。筆者もそう思うし、日本には、まだこのような腕一本で立とうとする人間を尊敬する風潮がまだまだ残っている。非常にすばらしいことである。おそらくは、ドイツの複線型・分岐型コースも、成績評価で厳然とコースを分けるが、この成績評価によるコース分け後は、むしろ、「勉強」以外の基準で自分の仕事を見つけ生きていくことに価値を見出しているのであろう。そして、「勉強」以外のコースもことごとくマイスター制度で資格化され職業的威信は保たれている。

 複線化論を言うならば、先ずもって、「勉強」以外の価値で生きていこうとする人たちへ、制度面で道を確立させる、あるいは、社会意識の面で彼らを評価してみせるところから始めるべきなのに、この人たちが全く念頭に入っていない。むしろ、勉強が出来ず可愛そうなので、大学をたくさん作ってこれに入れてあげようとするという始末である。ドイツにおける複線化は、そもそも大衆が無学を恐れていないからこそ、また、無学であっても他の面で人間を評価できる仕組みが出来上がっているからこそ成り立つ制度なのである(西尾・前掲書126頁。日本の知識人層はドイツの複線化コースやマイスター制度が好きであるが、このドイツ人の意識を見落としている。また、既に指摘したように、自動車やエレクトロクス分野の「産業型」マイスター制度が、科学技術の進歩に対応できず、むしろ硬直的・独善的・排他的に働いていることを理解していない。「手工業型」マイスターでも同様の傾向があるだろうが、こちらの方は「独立自営」層を守っているという側面が強い)。何故、いきなり、「高専」(高専は一応、知識労働者を育成しようとしている)なのであろうか。大学コースのほかに職業教育のために高専コースがあってもよいとしたいらしいが、それ自体は、なるほど複線化の一端ではあるが、生き方の多様化そのものをもたらすものではない。具体的には、(ⅰ)本章2③の職業高校ないし職業学校と(ⅱ)この道からもはずれようかという人たちの道をどう確立するかがポイントになるように思うのである。筆者は高専との比較において職業専門大学を評価して見せたが、その職業専門大学に対しても同様の疑問をぶつけることが出来る。もちろん、日本でも菓子職人などの技能的な職業が徒弟的な修行を経て身につけられるが、これがドイツのマイスター制度などように制度化・社会化されていない、あるいは、そこまで国家や団体が関与すべきではない、というある意味では良いことともいえる要素があることも考慮に入れるべきであろう。しかし、先に狭義の複線化への覚悟を問うたほかに、そもそも複線化とはどういうことなのか、どこから始めるべきなのか、ということが全く考えられていないことこそ問題なのである。

 高専は複線化の尖兵となった。しかし、彼らさえもが、小さな世界においてではあるが人知れず犠牲となった。多様な生き方という価値観や「勉強」以外の価値で生きていこうとする人達に何の影響も与えず、単に尖兵は倒れ階層化の渦中で不遇を味わう位置に置かれたに過ぎなかったのである。

6.大学「大衆化/反対」「市場化/賛成」

 前項で、高専を多様性の尖兵としているのではないかと問うた。与党案が暗に批判しているのは実は「大学大衆化」である。日本にはあまりにも大学が多すぎて教育制度を歪めているというのである。大学を乱立させたのは当の与党であったが、いわゆる下位層の大学卒業生の学力や就職が良くない。そこで、専門学校や高専などの非大学高等教育を評価して、大学進学に歯止めに掛けようとする思惑があるように思える。矢野眞和『大学の条件』はその序章において、大学「大衆化/反対」「市場化/賛成」のベクトルがあることを指摘した(本書では、データを駆使して人々の大学教育へのアプローチを検討してある。結論的には大学大衆化には好意的な分析をしている)。「大学」「大衆化」の中で中途半端な規模の非大学群がどのような地位となってしまうかについては、改めて言うまでもないだろう。

7.高専入学者の批判的類型論

 高専の増加は、人の生き方について多様性を認める基盤が徹底していない日本社会に、これと不相応な本格的な教育制度の複線化・分岐化をもたらす。仮に、増加させなくても、初期においては、人知れず多層化に巻き込まれる結果をもたらした。現在でも、少なからず多層化に巻き込まれる者がいるが、逆に、当の高専が複線化の意味を失わせる行動をし始めている。「15歳」からの複線化の重大性についても述べた。さらに、高専をして「大学大衆化」への、はかないカウンターパートの地位を占めさせようという動きがあるのではないかということも指摘したが、こうした動きには、人間の人生の行く末にあまりに顧慮を払っていない。

 以上を前提に、高専教育を受けた者を批判的に類型化してみたい。

 A:高専を退学した者

 退学率はおよそ1割以上、場合によっては2割近くとみて間違いない(文部科学省のインターネットによる情報開示等を総合した)。入学者の1割以上退学は異常である。あるいは、留年など最終的に不適応を示した者もこれに含めてよい。「高専」を選んで後悔した理由は何だったのであろうか。初期高専生が示した複線化・分岐型コースに内在する問題、あるいは現代でも自分たち「のみ」がこの特殊な制度に置かれていること自体への違和感(特に初期高専生に対しては、この複線化・分岐型コース設定が袋小路問題として具体化した)への不満でなかったと言い切れるだろうか?

 B:高専を卒業してすぐに社会に出た者

 高専は、昔はより露骨な表現で(「大卒相当」)、現在でもかなり誤解を生む表現(「大卒相当」に「なりうる」)で入学者を誘っている。ところが、既に見たように、高専卒は特に大企業では下級技術者として扱われつつある。それどころか、大衆化して増えた大卒は中小企業の末端にまで及んでいる。言うまでもない、「大卒相当」を信じた彼らは騙されたのである。また、大卒が受けている一般教養教育は省略されている。彼らはバカにされたのである。仮に大企業に限らず中小企業において実力があって地位が上がっても、自分の部下が自分より高学歴者なのである。彼らが、多層化を受け入れて、平然と生き抜きわが道を行く人間たちであったかは、入り口で「騙し」が入っているので、何とも言いがたい。しかし、次に見る進学者の増加を考えれば、「わが道」を行っているとは言いがたいのであるまいか。是非、「高専卒」にもう一度、高専卒の学歴に満足しているかアンケートをしてもらいたいものである。

 但し、このBの中には、そもそも下級技術者になる程度の学力水準である者(入学者の学力低下は既に指摘した)も含まれているから、就職者の何割かは、高専が「分相応」と言えるであろう。複線化・分岐化は典型的に効果を出しており、徴表的である。

 C:大学工学部に編入学した者又は専攻科に入学した者

 大学に編入学したとはいっても、これも既に見たように、彼らの英語力や数学力の水準は低い。しかも、青年期に人文社会的教養を軽視した教育を受けた。そもそも、高校から大学に入っても同じだから、何の意味があったのであろうか。実践的な教育を早期から受けているので、一般的な大卒より、実践力があるというかも知れない。しかし、工学そのものが応用的学問にして実学であるという前提があり、また、工業技術の急速な進歩によって工学教育が大学院まで後ろ倒しになっており、さらには、結局企業に入れば実務で鍛えられる。そうすると、高専からの編入学者と一般入試入学者の間の実践力の差は相対的になっている。むしろ、英語力や数学力の差が絶対的に開いている。

 さらに、このCの中には、大学編入学試験が比較的易しいのを利用して晴れて大学生になった者もいるだろうが、これが高専教育の成果かと問われたときに、何と答えるべきだろうか。

 1割進学なら、複線化・分岐型を基本としつつ、そこから優秀層を救い出し、その弊害を緩和したと言えるが、現在の大学および専攻科への進学率4割(大学進学に限らず、専攻科進学者でもその多くは大学院へ入学希望する)では、複線化・分岐化した意味を失わせていると言ってよい。

8.賽は投げられた

 ところで、藤田・前掲書は、筆者には賛同できない部分・トーンも多いものの、書名のとおり「改革」に際して、考慮すべき対抗概念をところどころで示してくれている点は非常に有益である。同書113頁は、複線型・分岐型の国々では、「中等教育の比較的早い段階から生徒たちの進学希望を冷却し(cool down)、競争から撤退させる(cool out)させるメカニズムを組み込んでいる」としている。この重要な指摘は多くの教育制度論者や教育社会学者の共通理解になっているだろう。それ自体は、ドイツにおいては、自分は自分・他人は他人の社会を前提としているため、望ましい場合もある。逆にイギリス等では、もろに“階級性”の方便のようにも見える。

 高専は建前として卒業後就職することになっているので、6割の生徒にとっては、cool downとcool outが生じている。次に、建前をはずして、高専の実態を見たときに、4割の高専生にとって進学希望はheat upしている。高専は高等教育だから入った時点でcool downやcool out も何もないというかもしれないが、進学にはステップアップという要素があることを加味せねばなるまい。大学大衆化への歯止めとして高専を利用するとすれば、この高専を増設することによって、cool outとcool downを発生させたいところだが、これを成し遂げるには、先の①「自分は自分、他人は他人」「多様性」の倫理の他に、②制度的には、普通科高校を絞り、かつ、大学を減らし、普通科高校を30パーセント以下、残りを高専ないし職業高校にして、4年制大学進学率を20パーセントとし、③これらを厳格かつ慎重な成績評価に基づいて区分化する、とでもしなければ出来ない相談なのだ。そこまでやるのであれば、大変遺憾ながら高専増設あるいは複線化も認めようではないか。ところが、このメカニズムを理解せず、中途半端に高専を増加させても、数多くの普通科高校と大学がそのまま残り、しかも成績による区分化がうまくいかず曖昧なままだと、cool downとcool out、そしてheat up高専にイビツな形で現れるに過ぎないのである。これでは、複線化の一類型としての高専に何を期待しようとしているのか、生徒がどのような境遇となるのか、教育制度論として、さっぱり不明ではないか。逆に企業側からすれば明確である。6割の「cool downした、そこそこには優秀層」を大卒未満で下級技術職に配置できるからである。このことは既に指摘した。また、近時は少なくなりつつあるが、優秀なわが子の進学意欲をcool downさせようという経済的に恵まれない家庭の親も一定割合でいる。

 やはり、複線化には確たる社会基盤―日本人は本当に自分は自分、他人は他人と割り切れるか?―と覚悟が必要なのである。また、確かに日本はドイツのような社会基盤もなければイギリスのような階級社会でもないが、しかし、経済力だけでない親の意識や職業等の「階層」と教育達成の問題も見逃せない(この点については十分述べられなかったが、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』等を参照したい)

 日本は、大学進学率50パーセントに踏み入った。その半分を職業専門大学にするにしても、否、そうであるからこそ、高校卒業後に本格的な学問や職業教育を受けるという単線型を継続する姿勢が確認されてしまったのである。問うべきとすれば、高専が作られた1960年後半頃の大学増設、1990年後半からの大学増設の時期に問うべきだったのだ・・・しかし、とっくに賽は投げられてしまっているのだ。

第8章ー単純な論理、そして骨太の試案ー

1.単純な論理

 そもそも、高専設立当初から「大学相当」「中堅技術者」などという宣伝を行わず、“中等教育”の延長した5年制の工業高校とし、その内容も「中級」としてくれるか、そもそも最初から高専など作らなけらば、優秀者を誘ったことが問題の端緒となった高専問題は無くなったか少なくとも緩和されたであろう。中堅技術者や実践的技術者は、現在では、学力がやや落ちる程度の大学工学部の学部卒で間に合う。企業が学歴主義的な人員配置を、「学校」歴主義的に強化するだけでいいのであるし、現在この傾向がないと言い切れるだろうか?最後はここに行き着く。

 そもそも論はここなのであり、筆者の前章の考えは、ここから展開している。しかし、あえて高専をどうするかということになった場合に、次のような見解が示されている。

2.骨太の試案

 I博士は、自身のホームページ上に「高専の改造計画」を発表しておられる(筆者の過激な高専批判とI博士の建設的な意見・提案が混同されては同氏に失礼と判断しお名前を伏してある。いうまでもなく私筆者のこのブログの方は下劣といえば下劣である)。これは、高専の問題点を見事に分析し、一貫した論理で、その解決のための方策を示した、大変傾聴に値するものである。第4章の英語力の個所で触れた、渡部昇一平泉渉『英語教育大論争』における、平泉案のごとき迫力である。英語教育論争においては、試案への批判者である渡部側に分があったと私筆者は考えるが、この高専問題については、試案発表者側に分がある。否、論争が起こらなかったこと自体が問題なのかもしれない。平泉案と異なり、これに論争を挑めるだけの根拠と力を持った渡部氏のごとき方が、高専の世界や、これにかかわる政治家や教育学者にもほとんどいないのである。

 筆者のごとき者の案を、これと比較するのはおこがましい。しかし、あえて筆者の問題意識を述べさせて頂くと、日本において15歳の「早期」に「目に見える」「特殊な区別された」コースを設けると、そのコースの者は概して「多層化」に巻き込まれるのではないかということなのであった(第6章・第7章。この詳細は、次章でも述べる)。むろん、このことはI博士をはじめとする高専関係者こそ強く意識し続けてきた問題である。筆者は、第7章で、このような問題意識を前面に出して、いっそうのこと高専の1年~3年生の課程(仮にこれを前期課程とする)をこそ廃止せよ、必要に応じて前期課程を設けることができるとすることも反対と述べた。そして、高専そのものは解体的に職業専門大学に移行せよと主張した。

 しかし、I博士のごとく、「(3)最初の 3年間にて高校の教育課程を完全に保障し,4年生以上を単位制システムとする。 (4) 3 年修了時に、4年次への進級資格試験を行なう(センター試験を使ってもよいとする)。 (5) 3 年修了時における進路変更を制度として完全に保障する」として、前期課程と後期課程を分離し、しかも、これを通常の高校教育と交流を持たせるとするのであれば、筆者が言う問題点の多くが解決できるような気もしているのである。課程として完全分離するというのも、もちろん一考だが、例えば、前期課程を、〇〇専科大学付属中等教育学校、あるいは、端的に〇〇専科大学付属技術科学高等学校としてもよいのかもしれない。東京工業大学付属科学技術高校の例があり、入学者の学力水準は高いという。教育課程に特徴ありながら、しかも、大学進学者がほとんどであるらしい。

 ただ、失礼と著しい力量不足を承知で、以上を前提にいくつか問題点を述べさせて頂く。

 第一に、この新しい高専が養成する技術者とはどのような職種になるのであろうか。やはり従来通り大卒または院卒とは別の役割を持った職種になるのであろうか。それとも最終的には大卒化を目指すのであろうか。仮に前者だとして「大卒相当」としたり、仮に後者だとしたら、やはり、15歳生徒に向かって大学ではないのに大学と称して、彼らが知らずに不遇に陥ってきたという、高専問題は残る。これは、高専がこれまで犯してきた罪であった。どうせなら、明確に、初中級・実践型・臨床型技術者養成の短期教育としてもらった方がすっきりする。筆者が、物心ついた18歳生徒が自分の能力に得心・納得して、通常の大学とは異なった職業専門大学に進学するなら、それはそれでよい、という趣旨で職業専門大学を評価し、高専は解体的にこれに合流すればよいとしたのは(第7章)、このような問題意識に基づいているのである。

 もっとも、理工系でも大学がこれだけ増え、下位校も含めて大学教育を標榜している現在においては、学校をしてどのような位置づけの技術者を育てるか明確にしなくても、実際その後にどのように扱われるか、どのような職種に応募するかの方が重要であるとも言えるかもしれない。しかし、高専は名称と形態が異なるため、やなり一定のメッセージを出しておく必要はあると考える。

 第二に、編入学問題である。筆者は第3章で現在の高専が大学へのバイパスコースになっており、これに過度なポジティブアクションが働いているのではないかと指摘した。「進学高専」などというのは他の教育課程にある者からすれば揶揄の対象になっても仕方がない。ところが、高専18歳時点での進路選択を制度的に保障・確保しつつ、内容的にも定員的にも学士課程まで教育が保証される等高専が独自の存在として確立されれば、大学工学部へ編入学する必要はなくなる。望む者へのその後の継続教育は大学院で済ますことが出来る。そこまで高専の改善を行うにも関わらず、これに加えて、現在の進学高専の例に見られるような大学のネームバリューを求めるかのごとき編入学競争をも許すとすれば(「センター試験を受けずに国立大学工学部に行ける」などという安易な宣伝を行い、「編入学実績」を売りにする)、高専に過度の恩典を与えることになると考えるが、これはどうか。東大医学部保健学科は短期大学からの編入学を必要がなくなったとして廃止した。大学工学部側からも、もう高専からの編入学の必要はなくなったのだから廃止します、大学院入試を受けてください、とされるかも知れないが、高専側としてどう考えるのであろうか。

 なお、与党案のように、6年制で完成教育とし(その功罪については、第5章で述べた)、その後(筆者の考えでは結果的に専攻科か予科がかむことになるが・・・)、大学院への進学も可能ということになれば、いよいよ編入学を認める必要はなくなるだろう。

 I博士の頭の中には既に出来上がっているであろうし、このような安易な意見ブログを見て頂いているとは到底思わない。ただ、I博士が四半世紀にわたって行ってきた問題提起と意見に触れないわけにはいかず、あえて、失礼を承知で触れさせて頂いた次第である。ただし、筆者の、高専についての批判の数々には根拠があるし、第7章の意見については変更する必要はないと考えている。

 ちなみに、同氏のホームページ上にある、高専についての文部科学官僚の認識へのコメントは興味深かった。"官僚”といえば、ここからも、筆者の意見であるが、こういう「エライ人」は決して自分たちには逆らわない階層の人間に同情するのが好きである。かつてTKなる文部官僚がいたが、彼などは平成10年前後教育改革が言われていた時期に「文部科学省本省の職員の半数は高卒や専門学校卒なんです!」、「文部科学省には、高卒で大学の技官になり、その後働きながら夜学で学びⅠ種試験に合格した人もいます!」などの例を挙げ、一官僚に過ぎないにも関わらず自著で「国民」に向かって"学歴は不要"であるとうそぶいていた。ところが、かつて日本が貧しい時期、優秀だが高卒で初級公務員になった者は数多いし、逆に、日本の中央省庁という世界有数の学歴権威主義の世界には、たとえ出向でも大卒は入り込みたがらないという背景を忘れている。TK氏自身は若くして県の教育長になりながらである。また、その高卒夜学のキャリア官僚もTK氏によれば「県で30歳の若さで課長になっている」そうである(結局、試験エリート主義!)。「エライ人」は平気でそんなことを言うし、しかも、頭のいい人に「おセンチ」がはいると厄介だ。これは、高専問題の認識にも通ずるので、あえて言及した。もちろん、日本の中央省庁の官僚の能力は評価できるとは考えているが、高専問題は「立法府」による「立法」によって解決すべき重要問題であることも指摘しおかねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

第7章ー高専は職業専門大学へ合流せよー

 

 職業専門大学が議論されている。実は、私はこれを評価している。
 学力・能力である層(例えば15パーセント)までは大学工学部でよいが、それ以下の学力・能力層にとっては、やはり、実践的職業教育でいいのではないか。つまり、政府が言いたいことが、学力中堅下位層までやっきになって大学進学を目指す必要はないということならば、この職業専門大学構想は、健全とは言えまいか。日本の教育論議は建前平等を標榜するが、百歩譲ってそれが良いともしても、どの学力層にはどのような教育をという実質的な議論があいまいにされてきた。高等学校卒業後の高等教育志向が進むのは止むを得ず、高等教育増設には理由のあるところだ。しかし、ここで政府がいわゆる狭義の大学(しかも大学院付き)を乱立したため、インフレ化した大卒に相応の仕事がない。そうであるなら、高等教育志向と卒業後の進路確保のためには、一応は高等教育機関と称する学校に職業教育を結びつけるしかない。例えば、大学定員は多くても高校卒業生全体の2割5分程度までに収め、あとは、あたらしい職業専門高等教育機関でよいというふうにすれば、大卒にその学歴に応じた職場がないという問題(世間で言う大卒の就職難)も緩和出来たかもしれない。 もっとも逆の可能性もある。中堅以下の学力の高校生にその時代の要請で、採用活動が活発化される可能性もあり、就職を望むものが就職できるよう準備をしておく必要はあるだろう。特に都市部に多すぎる中堅以下の普通科高校のカリキュラムの一部に職業教育を組み入れる工夫は必要であろうーそのような時代は終わったという者もあるかもしれないが、現在の人手不足の時代に、高校段階で少しでも職業教育を受けている層がいれば、彼らを吸収できる可能性がないと言い切れるだろうか。また、現在の大学のかなりの大学が学生を学力試験で選抜していないから、中堅以下の普通科高校の高校生のさらなる職業高等教育(もちろん能力が許せば、狭義の大学でもよい)への入学試験が阻害されるということもあるまい。

 自分たちで乱立しておいて今度はこれを転換しようというのは、確かに矛盾だが、多くの特に地方の小規模または非伝統校の定員割れが続いている今しか、これを改める機会はない。
 ところが、注意しなければならないのは、政府が言っていることが、上位学力層に対してさえも、一般教養と学術的な内容を軽視し、すぐに役立つような職業教育・実践教育を目指せ、ということならば、これは間違いである。そして、実は、日本には、上位学力層に対して、このような職業教育・実践教育をしますなどと標榜し、これを理系教育の本流のごとく欺瞞的な宣伝をし続けた学校がある。それが「高専」だったのである。高専の学生の水準は設立初期において特に高く、近年は学力が大幅に下がり続けつつも中には経済的な理由や親の意識(“手に職”の類)のために一定割合で比較的学力が高い層も含まれていることはこれまで述べてきたが、彼らこそ「国」に愚弄された生徒たちである。高専の問題性については、再度確認しておきたいことがある。それは、、高専の就職先-“地位”のことではない-がいいのは、比較的成績上位者で、中学卒業したばかりの生徒に社会の成り立ちやその矛盾に気づかせることなく、速習圧縮技術教育を施し(「学部並」というのは過大評価で高専教員や一部の適合卒業生の宣伝文句に過ぎない)、これに疑問を持つ者を排除し(学力よる「選別」ではない)、中堅または下級技術者枠を独占させた結果に過ぎない(企業が高専卒を表面上「評価」しているのは、この思惑から)という、特殊事情があるからだ。そもそも高専は設立当初から理念的・制度的に位置付が「あいまい」にして、同時に行われた工学部の大増設によって教育機関としての相対的地位が低下したという不幸な出発点をもっている(天野郁夫『日本的大学像を求めて』、野村正實『学歴主義と労働社会』)。決して高専教育の理念が優れているからではない。つまり、現状の高専教育あるいはそれに誘う手法を国民大多数に投げかけたからと言って、国民に仕事がいきわたり幸福になれるわけではない。このことも既に述べた。 
 では職業専門高等教育機関ないし職業専門大学を具体的にどうすべきか。①高専教育で問題されたように、中学卒業後5年も6年も長期に特殊な教育に押しこむような教育制度は絶対に回避すること、②就職問題は特に職業高校や普通科高校の学力中堅層にとって大きな問題となるのだから、彼らにどのような教育を施すかという側面で考えて、彼らに3年程度の職業教育を施す教育機関を膨らませること、③早期に、袋小路的な枠組みに、長期に渡って、特殊な教育を施すという高専の存在形式そのものが問題を生み出しているのに、これをそのまま存続させることは許されないから、これを解体的に再編して①②につなげる。つまり高専をこそあたしい職業専門大学へ接続させるのである。筆者は、高専教育がもたらす悪しき側面の諸悪の根源は、「中学卒業後」という部分であると考えている(中学卒業時での進路決定は困難であり、また、中学卒業後に専門科目を押し込むため、高校程度の内容さえもが圧縮され、精神にさえも影響を与えるのである)。これがもたらす、イビツな教育に、優秀層を誘っているとしたら・・・。この構造さえ破壊してくれればよいのである。具体的には、①②への接続に際して、高専の15歳から18歳の年代の前期(以下、前期課程と略称する。高専は前期と後期で教育を区切っていない)の課程を廃することは必須である。「必要に応じて」などと留保をつけて前期課程を設けるのにも反対である(繰り返すが、これが諸悪の根源)。職業専門大学というもがあって、これに「高校卒業後」に進学する層がいても全然かまわない。高専設立に先立って、専科大学構想があったのあるが、専科大学構想では前期課程は理念上絶対必要のものではなかったことを想起していただきたい(但し、「前提」にはなっていただろう(参照、岩本晃代「高等専門学校創設法案の経緯と「複線型」教育の問題点」カリキュラム研究第19号31頁))。そして、専科大学への転換は従来から高専関係者の間でも要望され議題になったこともあったのである。そのような経緯を考えると、職業専門大学構想にかこつけて、専科大学化してもよいのではないか、この制度的枠組みの中で、高専が培ってきたものを伸ばせばよいのではないか。年限は3年にして専攻科1年を設ければよい。「6年制」については既に功罪を指摘したが、結果的には21歳卒業としてもよかろう。

 ところで、このように、高専を新しい職業専門大学に合流させ前期課程を廃したら、大学と職業専門大学の二分法の中に高専が埋没し、これまでのように中学卒業時の優秀層を確保できなくなるという懸念が、高専関係者からなされる可能性がある。しかし、こうした主張は高専の矛盾をさらけ出すだけのものである。まず、優秀ならば高校から大学にいけばよいのである。何も困らない。わざわざ自分たちの特殊な教育に生徒を誘っておいて(中には、これを完成教育と評し、大学などに進学する必要はないとする教員もいたのである)、大卒との処遇の均衡や院卒の増加という問題にさらされるようになったら今度は都合よく大学編入学を目玉にしだしたのは当の高専であった。ならば、そのような矛盾を改め、職業専門大学に転換後の高専は従来の目的どおり中堅技術者や臨床的技術者養成に徹すればよいのである。本望というものではないか。しかるべき水準以上の大学にいけるような人材がいるというならば、そのようなルートを歩んでもらえばよいのだが、そうでない人材が来たなら来たで教育のしがいがあるというものだ。そのような教育成果を見て、大学工学部に及ばなかった者が職業専門大学で勉学に励んで何が悪かろう。彼らが、学力や研究では及ばなかったが、ほかの分野では、自分たちが一日の長があると思ってくれればよい。なお、職業専門大学には技能的な職業分野も含まれ、一応は、技術職の養成をしてきた高専側としてはこれと同等にされることに抵抗を感じるかもしれない。その感情は、大学や短期大学が高専に対して抱いてきた差別的な意識と同様なのであるが、その大学も、一流から無名まであることは忘れないで頂きたい。定評のある職業専門大学と定評のない職業専門大学があるのは、当然のことだ。最後に重要なことは、ここには、18歳という大人なろうとした時期に決めた、気持ちの整理と自分の能力への得心と納得がある。繰り返すが、15歳という少年が学校側から吹き込まれた宣伝を信じ、これに基づくルートが20歳まで続くという現在の高専では、気持ちの整理と自分の能力への得心があいまいなままなのである。

 

*平成28年5月時点、文部科学省から発表された「高等専門学校の充実について」は、おざなりな内容であった。1%の人間にしか関係のない制度というなら、何もいきりたつ必要もないのであろう・・・。

第6章-高専増設批判(2)ー

 かくして、高専増加と分野拡大は、そもそも高専がそうであるように、非常に大きな矛盾と衝突を生み、最後には失敗すると考えられるのだが、ここでは、先の教養問題と同様、ある書物とある研究者のことばを引用させて頂きながら、結語としたい。

 どんなに大学相当と称し、そのようなものとして入学者を誘ってきた高専という制度をいじったところで、50パーセント以上の人間が正式の「大学」へ行き、その半分を職業専門大学にしたところで一応これも「大学」であり、高専高専である以上「大学」ではない構造は変わらないのだ。理工系技術職以上の人材に限っても90パーセント以上の者は大学学部卒以上であり(理学部や薬学部、学芸学部の一部等を含めると、さらに多くの割合となる)、仮に高専を倍増したとしても、焼け石に水であり、高専はマイナーな存在であり続ける。

 いわゆる専修学校は、自らを大学相当等と謳って入学者を誘っているわけではないし、その学生の多くは大学での教育を受けることに必ずしも意義を見出していないか、能力があれば大学に進学してもよかったと思っている層であるから、大学相当の完成教育を標榜し比較的優秀者層もかなり多く誘っている高専とはその議論の前提が異なる。

西尾幹二『教育と自由』は、西尾が第十四期中教審に参画したときの模様を描いている(67頁以下)。このときも高専改革は検討に上がった。審議で西尾は「高等専門学校もその位置づけの曖昧さがかつて疑義に呈されたことがあった。今はまだ数も少ない段階だから、思い切って四年制大学に移行させるか、短大の名称で定着させるかどちらかにしないと、卒業生の社会的立場がはっきりしない困難はいっそう増大するであろう。・・・成長発展していく可能性に富んでいる制度なのかどうかという基本問題をお伺いしたい」とその考えを述べた。西尾によれば、これは

 

 「日本の現代社会には多様性がない。従って学校制度だけ多様化しても、社会にはそれを支える根がない。そのため制度面での『多様化』の試みは、結果的には、おおむね『多層化』に終わる。社会のこの体質にあくまで制度で抵抗すれば、関係の子供たちを徒らに苦しめることになるだけである」

  

 との認識を根底においているという。西尾のこの問題意識と質問に対する他の委員の意見は、「外国語やデザインへの分野拡大は、女子の進学者の急増を予想させる」とか「わが国の産業社会を支える技術者全体の構成では、4年制大学工学部卒、高等専門学校卒、工業高校卒の人数が逆ピラミッドとなっているが、本来なら高等専門学校卒の者が産業社会を支える中核となるのが望ましい」などといった、筆者に言わせれば、いかにも(当時としても、今となっては、より明白に)現状認識を誤ったものであった。当の西尾も、高専をして「社会を『多様化』する尖兵の役割を担わせる力があるかもしれない」と心に思い始めたという。ところが、元中学校教員のある委員が「最後に一言話をさせて下さい」とツルの一声を発したそうである。

 

「・・・高等専門学校を出て企業に入った私のある生徒と、それから何年か後の女生徒で、短大を出た私のある教え子との間に、縁談が生じました。教師としての私の公平な目で見て、男の子の方がずっと優れていて、まあそう言っては何ですが、女性にとっては勿体無いようなご縁なんですが、彼女の方から申し出て、破談になりました。言い分は、自分が出たのは短大であってともかく大学だが、相手の出身学校はよく分からないし、親にも説明できないというのです。とても厭な、後味の悪い経験でした。分野拡大して、数が増えれば、高等専門学校の存在は社会的にも今より広く知れるようになり、こういう厭なことはなくなるのでしょうか。それとも分野拡大することで、辛い、惨めな経験をする子供がかえって増えるというのでしたら、困ったことだと思いますし、賛成できません」。

 

 会場は一瞬シーンとなってしまったという。西尾が、このエピソードを踏まえて、どのような教育論議を展開したか、あるいは、諦め絶望したのか、については、もちろん同書を参照するしかない。

  高専にはこんな人材もおりそれが高専教育の成果だという前に、時代が時代なら環境が環境なら、彼らもその大学教育を選んでいたかもしれないという共感は湧かないのであろうか?高専卒がこのようなものを開発したと言う例をあげる前に、高校3年生までは大学受験に明け暮れていたが、大学で念願かなって工学を学び、その後企業等で業績を挙げた者の方がはるかに多いのではないかということぐらいは、ちょっと想像力を働かせればわかるではないか。高専のよからぬ学校としての実態、逆に、絶えなくして一定割合である優秀層、制度としての問題性・・・。結局は、高専の存在理由と存在形式とそして実態を問い直したときには、やはり、存立そのものを肯定できないのである。その高専が5年制から6年制になったからといって、何がどうなるというのであろう。野村正實氏は、自身のHP上で、次のようなことを述べておられる。

 

 「教育改革は、その教育改革に巻き込まれた学生たちの生涯を決めるような重要なことである。高専を作った当事者たちは、そのようなことは考えもしなかったであろう」

第5章-高専増設批判(1)-

 平成28年目下の職業専門大学構想とは別に、それに先立って、高専の6年制化、学士の学位授与、早期の大学院進学、一県一校化、他分野への拡大などの、高専改革方針が、与党の一案として示されている。

1.職業専門大学構想との関連性のなさー学位授与権に関連させてー

 先ず、高専改革が、目下のところ、職業専門大学構想とは別立てで論じられていることである。そもそも学校教育法にあるように、高専は、「職業教育」機関である(高専は、高等教育機関の範疇にあるとは言っても、創立以来50年、学位授与権ははく、また、自治権もなく、「研究機関」としても位置づけられていない)。50年来、職業教育の高等教育機関として位置づけられてきたにもかかわらず、与党の青写真側からも、今度の職業専門大学案側からも、職業専門大学と高専との関係性については何ら構想が示されていない。例えば、職業専門大学にはIT分野、金属加工(これを例に挙げるのは何とも安直な気もするが・・・)、はたまた、調理師になることなど、あらゆる職業教育が含まれており、これらの職業専門大学には学位授与権を与える予定であるという。ところが、高専にはこの50年間、大学では無いとの理由で、学位授与権は与えられてこなかった。周知のとおり、学位を授与するのは学位授与機構である。①先ず、「学位授与権」そのものついてであるが、国が、高専の学位授与権に消極的であり、おそらく、今後も消極的であることは、高専と同じ準学士なる「称号」付与権を与えられてきたに過ぎない短期大学が、高専とは異なりいつのまにか「短期大学士」なる「学位」授与権を得たことでも明らかであろう。国は、やはり高専を大学ではないということを重く見ているのである。②また、今度の高専改革が、高専に「学士」の「学位授与権」を与える趣旨のものであるか定かではないが(学位授与機構の認定で、学士そのものにはなれる)、これには、短期大学側の反発も考えられる。つまり、高専設立当初の専科大学構想に猛烈な反対をしたのは短大であるが、このような短大が、自分たちには「短期大学士」なる学位を授与できるに過ぎないにもかかわらず、高専には大学院に進学できる資格である「学士」の学位授与権を付与することに賛成する可能性は極めて低い。

 問題はここからである。短期大学も残り、さらに高専高専のまま(改革をして)残るとしたときに、調理師養成や金属加工の技能職養成の職業専門大学には学位授与権があるにもかかわらず、一応は企業の技術職を輩出する高専側には学位授与権がないという、なんとも奇妙な現象が生まれるのである。実は、このような奇妙な現象は、いわゆるFランク校と呼ばれる私大の工学部に大学院があったり、あるいは、看護士養成が学士課程に移行しつつあるなど、近時、垣間見ることができる現象ではあるが、このイビツな現象が、いよいよネジレた形になると言っているのである。職業専門大学と短期大学および高専の存続とこれらの関係性に整合性を持たせ、矛盾を生じないようにする為には、少なくとも、これらを系統立てて論ずるべきであろうが、これは高専(あえて言うならば短期大学も)という中途半端な学校制度が存在することによって生じている問題ともいえるのである。

2.6年制化の功罪―長期化の問題性と可能性―

 第二に、6年制化については、功罪(「功」の方は、あくまで、この制度を残さなければならないという場合の話であるが・・・)相半ばする。

 高専教育は、これまで多くの中退者・留年者を生み出してきた。少なくとも1割、多ければ2割が退学、留年者も含めれば3割が留年・退学する。実は、これは高専の教育が格別厳しいからではない。①中学卒業後に専門分野を決めることによる、専門科目への不適応、②あまりに大きな割合、比較的高度な内容で、しかも早期に、専門科目を開始するというカリキュラムと、ほぼ同じ気質の生徒間の人間関係が長期に続くことから、生徒が自分の知的発達のバランスに不安を覚えること―中には、高専の教養軽視のカリキュラムと風潮に不満を覚え、中退して、大学進学する者もいる―、③5年の長期の就学期間内に大学受験が無いことによる中だるみ、④中途半端な自由を与えられるために生じる非行化、または、同一学校内に、大学生の年齢と中学を出たばかりの人間が混在することによる下級生側の圧迫感―全寮制を建前としていたころ、5年生が1年生に挨拶代わりに“シゴク”などの例もあったのである(かつて大きな問題となった、学寮における暴力問題は、関東地方の高専の例がある本にに収められているが、具体的な校名をあげることになるため引用は控える。運動部やスポーツ校の寮の話ではないことに留意されたい。現在は表立った暴力問題は発生していない)―、⑤高専そのものの入学難易度低下による学力低下高専が敬遠される理由に、中学卒業という少年の年齢から開始して、その後5年もの長期の教育課程を経なければならいことが挙げられる―、が大きな要因である。これらは、高専の教員から外に向かっては余り口に出されることの無い事実であるが、少しでも内実を知るものなら、合点のいく話である。つまり、「早期」、「長期」、「特殊」、「同質」であることが高専の退学・留年問題の根底にあるのである。その高専の就学期間が5年ではなく6年になったときの帰結に、立法者は責任をもてるだろうか。入学者側からも、6年制化は魅力的に映らないであろう。高専は専攻科設置によって望めば22歳まで教育課程がある。専攻科を正式に修了すれば学位授与機構から学士号が得られ、その後大学院に進学することもできる。ところが、この課程が出来たときに高専の人気が高まったであろうか?魅力あるものに映ったであろうか。高専の入試倍率はジリジリ下がり、入学者の質も落ちつつあるが、この専攻科設置が起死回生の策となったとは言えまい。大方の反応は、どうせ22歳までの教育課程なら、あるいは、その課程を経た場合の処遇がどうなるかよく分からない以上、最初から大学に進学した方がいいというものであろう。一時的に入試倍率が上がったのは、長期不況で大学生の就職率が落ち込んだ時に過ぎなかった。

 よい面もないわけではない。18歳以降の課程が3年になって、その後に就職するのも、大学院に進学にするのも可能と言うことになれば、高専バイパスに大学工学部への編入学などをする必要はなくなる。そうすると、“高専は、大学や専攻科への進学する者が4割にも達し、独自の人材を輩出しているとはいえないのではないか”、というある意味では非常にイタい指摘を受けなくて済むというものだ。高専教育が、高専関係者の従来からの念願どおり「完成教育」となるわけだが、そうであるなら、高専側も、大学工学部への編入学を目玉にして(ひどい例になると、センター試験を回避できることを露骨に宣伝文句にする教員もあるという。このような者に教育者の資格はあるまい。)入学者を誘うことは断じて止めてもらわねばなるまい。

3.6年修了後の、早期の大学院進学―一般大学側の反発とルートの奇形化―

 今でも、大学院入学資格は柔軟化されている。要件を満たせば、例えば高卒のプロ野球選手がスポーツ科学の分野で修士号を得たりする例もある。ところが、高専6年制修了者(1年若い年齢で)に一律に資格として大学院入学を認めることは、今度は大学側の大きな反発が予想される、というより大きな反発は当然のものである。多くの大学で、特に一流大学の大学院で、大学院入学の飛び入学を認められるのは、学部在籍時に格別に成績のよいもの等の要件があるはずである。自校出身者に対してさえ、そのような厳しい基準を設けるのに、大学ではない高専出身者にその資格として大学院入学を認めることはまずない。高専が大学より格上ということはありえないからである。大学院の教授陣どころか、学部学生も反発するであろう。経済的に、一部の人間が、特に優秀性を認められることなく得をしてしまうからである。あえて、先の6年制論と絡めて正当化するとすれば、6年修了後に1年の専攻科ないし予科を経て、大学院進学が可能ということになろうか。そうすると、元の木阿弥、最初から大学に行っていた方がよいということになる。

 ただし、高専専用の大学院という手もある。これには、パイロットプログラム的に、都立産業技術高専産業技術大学院大学が存在する。もう一つは、豊橋、長岡の両技科大を完全に大学院大学にすることである。周知のとおり、両大学は高専生を主に受け入れる大学であるため大学側からの反発もあるまい。

 しかし、結局、高専問題はここに行き着くのだが、ここまですると、高専設立当初問題にされた出口の“ふさがった”袋小路”ではなく、出口はふさがってはいないが“殺風景な一本道がダラダラ長い(なんと中学卒業後8年!)”“ちゃんと本道があるのに、自分の背丈がやっと入る程度の狭い山道を1人で歩んだ上、到着点は同じ”“あえてこの道を選ぶ理由がなくなる”というだけの制度になりはしないか。次に、繰り返すが、そもそも、「中学卒業後」「5年一貫」の理念とは何だったのか。改革案では最短ルートで大学院に接続させようという。しかし、企業側は、中堅ないし中級あるいは下級技術職としての高専卒を重宝してきたのに、彼らがみんな大学院に行く仕組みを作ったら、逆に高専は意味を失うではないか。これを二律背反というのである。

4.一県一校化 ― 強制設立は地方自治に逆行する ―

  実は、高専の無い県が数県ある。そこで、既存の県立工業高等学校等を昇格させることで、地方公共団体設立で1県1校化しようというのである。電波高校等が電波高専に昇格した例もある。また、各県は職業訓練専門校等を、国の立法措置で設置してきたこともあったから、あながち不可能とは言えない。

 しかし、忘れてはならないことは、第一に、現在でも、地方公共団体による高専の設置は可能であり任意に進められてきたということである(東京都、大阪府、神戸市)。第二は、職業訓練専門校は、1年から2年の期間で行われる、まさに純粋に職業訓練という厚生福祉的な措置であるということである。厚生福祉的な措置であれば、国家による強制設立の立法に合理性がある。ところが、地方公共団体高等教育機関を国が強制設立させるという、法技術次第では可能だとしても、前代未聞の措置が行われることになる可能性がある。というのは、自治体設立であれば、高専設立後に、高専を大学に昇格さたり(かつて札幌市立高専という学校が存在したが、現在は、札幌市立大学に昇格しているという例がある)、付属校化する自由もあるはずであるが(大阪府立大学付属高専の例)、これでは、国が高専地方公共団体に設立させた意味がなくなるので、自ずと枠をはめた強制設立となるからである。

 次に、やはり地方自治という観点も忘れてはならない。具体の名前を挙げて申し訳ないのだが、滋賀県には高専がない。一方、名門校である旧制彦根高商(現・滋賀大学経済学部)は、戦時下の一時期、彦根工業専門学校の時期があった。滋賀県は、その彦根工専の実質的な後えいとして、滋賀県立短期大学を育て、ついには滋賀県立大学工学部を実現させたのである。そこに、ポッと高専を作れと言われて、ハイハイと作れるものであろうか、むしろ、財政措置としても地方人の感情としても短大(つまり、高専と同様の修学年限の短い高等教育機関)から昇格した滋賀県立大学を育てたいのではなかろうか。滋賀県の財政規模から考えて、大阪府のように、滋賀県立大学の他に滋賀高専をつくれというのは酷というものである。短期大学工業科をやっとの思いで大学化した滋賀県に、今度は高専を作らせ永久維持せよというのか?それを拒否する自由は無いのであろうか?

  地方公共団体に設立させる場合でも、財政措置として政策誘導することは考えられる。通常はこれであるが、この場合でも上記の視点を忘れてはならない。

 特別立法による場合も考えられるが、これには、地域の特殊事情も考慮する必要があるだろう。地域の特殊事情といえば、最後に高専が作られたのは沖縄高専である。ここに国と県との間に他の都道府県とは異なる独自の内部的な協力関係があったのはもちろんであろうが、形式的には従来型の国立高専設置である。沖縄の場合、歴史や経済、地政学的要素も無視できず、一般化出来ない。その他、実際は近い時期に沖縄科学技術大学院大学も設立されており、学校設立の動向に二面性がある。もし、現在は沖縄高専が成功しているとしても、かつて旧設の高専と同様の問題に直面する可能性も十分ある。沖縄の場合、琉球大学の存在感が圧倒的であることとの関係も見逃せない。

 以上、特に技術的な側面から考察してきたが、これは、そもそも高専が必要か、という根本問題とも関係するので、これは別述しなければなるまい。

5.高専の拡大、あるいは、他分野への拡大―そもそもの誤解と高専のインフレ化―

(1)先ず、高専についての誤解を正しておかねばならない。実は、高専の見かけの就職先や就職率がいいのは、高専入学者の犠牲の上に成り立っているということである。

高専の就職先と率がいいのは、①比較的成績優秀層を独自の文句で誘い、②彼らに中堅以上の企業にわずかにある、中堅・中級・下級技術者枠―綺麗な言葉で言い直せば、生産技術や製品化技術部門、研究開発部門の補助者、現場の中級管理者、あるいは高卒現業職のリーダーたる下士官ということになろうか、高専は自らの役割をして「中堅技術者」「実践的技術者」「臨床的技術者」養成であるなど、言葉を時代によって使い分けてきた―を独占させてきたからである。③企業側としても、彼らを大卒未満の待遇で中堅・中級・下級職に配置都合よく配置できた(企業側が高専卒を「大卒より2年若くて使いやすい」(こうした文言は、中学生向けパンフレットや学校史に肯定的に引用されている)とする背景には、この人員配置の都合があるのは間違いない)。・・・それだけなら問題はないという者もあるかもしれないが、これが問題ありなのである。

高専関係者は、入学者を誘う文句として、①上述の「中堅技術者」「実践的技術者」「臨床的技術者」という中学生には綺麗に響く言葉とともに、②高専卒は大学工学部と同等などいう美辞麗句を並べてきたのである。ところが、日本の製造業は、とっくの昔から、研究開発又は技術職として大学院修士課程修了者や名門大学工学部出身者を大量採用しているのは周知のとおりである。あるいは、日本の製造業の特質として、大学理学部や学芸学部出身者も技術職として受け入れていることも大きい。その数は、高専卒の数の比ではない。しかも、実際は、企業は高専卒を大卒・院卒とは実質的には別枠で採用していると言われ、これも間違いない事実である。これらの、高専側の教育目標と企業の採用行動を考えれば、論理的には、高専卒には大卒・院卒とは別の役割を担わせようとしている、つまり②「大卒相当」のみがウソであるのは明らかなのである。③また、当の高専卒側もよりよい仕事内容と待遇を求めて大学工学部へ編入学するという行動パターンでこれを証明している。高専卒で社会に出た者は、大学工学部卒と思って入学し勉強して会社に入ったら、仕事内容が大卒と違った(花の、そして、実際は待遇もよい、研究開発職に配置されない、配置されても補助的業務)、しかも賃金が違う(転換試験を受けるなどして業務は同等となったのに給与のみ違う等)ということでその現実を知るのである。あたかも、この帰結は、学歴主義の根強い日本の企業では当然のことであったし(野村正實『日本的雇用慣行』89頁)、このような高専の存在は日本の企業(の学歴主義的な雇用慣行)にインパクトを与えなかった(野村正實教授のHP)。つまり、特殊な部門のための特殊な教育目標で、しかも、比較的優秀層を半ば騙して誘い、彼らを企業側の都合により形成された「独占市場」下に組み入れてきたという構造のものとでは、さらに高専の数を倍増したところで、増えすぎた彼らに職がいきわたると言うわけではない、という結果をもたらすだけなのである。高専増加論者は、増えすぎて低学力化した大卒にそれに応じた仕事が無いので、学生を非大学であり「実践的」教育を行う高専に誘えば、学歴インフレ問題や大卒就職難が解消できると考えているようである。逆なのである。高専の生徒のいくらかは、高校卒業後、本来なら相応の水準の大学工学部へ進学できる層を含んでいる。比較的優秀とされる彼らに、一般教養教育や理論教育を軽視・圧縮した教育を受けさせ、しかも、大卒相当と信じ込ませるが、実際は大卒未満として就職しているからこそ、企業側から見ると高専卒のコストパフォーマンスが高くなり好評価を得て就職率もいいというわけである。大学がインフレ化し価値が落ちたことの解決の為に、高専をインフレ化させ価値が落ちるのというのは、なんとも皮肉な話である。

(2)次に、農業や商業の分野で高専をつくることは、かなり効果が怪しい。農業や商業の分野には、中堅企業又は大企業におけるような中堅技術者的部門・基盤が存在しないか薄い。これらの分野では、一定割合の人間の頭脳に任せれば、あとは、直感的な能力や地道さや人員数の確保という要素が成果を決定するという面があるのも理由であろう。

 日本の農家に就学意識があるとすれば、先ずは、農業高校に進学して、次にチャンスと意欲があれば農業大学校等に進むと言う慣行が成立している。工業高専と異なり、就職「先」がいいというイニシアティブが先の基盤の無さと相まって働かない。しかも、農業分野の被雇用者数自体が少ない。農学や農芸技術は、国や地方公共団体のにおいて、一部の大学農学部出身者が研究者的な働きをしつつその成果を農家に還元している実態があり、国立大学中心でやや飽和状態にある。工業分野よりも、より特定された狭い範囲で、国立大学や伝統私立大学が根を張ってきたわけである。しかも、大幅な拡大的発展(既存の規模そのものが小さい)が望めない分野に新設学校が食い込めるのであろうか。もっとも、農学そのものが学際的で様々な取組があり、そこからの派生発展はありえ、評価は難しい部分もある

 商業分野については、①そもそも、工業教育分野におけるのと異なり(機械加工技術等)商業教育に求められる固有の知識や理論がないため(野村正實『学歴社会と労働社会』95頁)、「中学卒業後」の初期初級から長期にわたっての教育内容を体系化するのに無理がある。②また、企業が一流大学の大学経済学部・商学部経営学部出身者を採用する場合に、工学部と比較して、低い期待でして専門性を見ていない。③商業分野で高度な頭脳が求められる場合でも、実は、上述の大学農学部と似ていて、ごく一部の一流大学経済学や商学部出身者、あるいはアメリカなどではビジネススクール出身者がまさにエリートして頭脳部門を担うという実態がある。地方の商業や地方の金融分野の中堅的業務は、短期大学出身者や下層の大学出身者が一般職や地域限定営業職として業務に就くが、銀行業務を含めて非常に単純又は技術性の薄い業務が中心となっている。以上の3つの観点から中堅的な高等教育機関たる商業高等「専門」学校としての「専門」性を特徴付けられず、需要を満たさない可能性がある。ただし、“大会社”に限定すれば、これまでは高卒者が担ってきたが、企業成長に伴って業務が複雑化・高度化したため、大卒者が進出してきた「修正された」「学歴開放的職業」領域が存在する(野村・前掲『日本的雇用慣行』50頁以下)。しかし、ここには、既に大卒者が進出し根を張っており、しかも、この大卒勢は、おそらくは、商学部などが中心の中堅伝統校にして一定水準を満たしている大学や私立の地域拠点校であるはずだから、商業高専との代替を許さないであろう。ただし、経営工学や経営情報学等の文理融合系では考えられるが、結局、工業高専と同じ問題を生み出すか、これらの分野で非大卒では地位を保てず、結局、高専が編入予備校化するだけのことである。

(3)最後に、ここでも職業専門大学との関連性である。職業専門大学では高校卒業後にあらゆる分野の職業教育が想定されているという。そうすると、職業教育を望む者でも多くの割合の者は高校3年の進路選択期間を経てから職業専門大学に進んでも遅くはないと考えるであろう。中卒後3年という期間を区切られた、しかも初中級的な教育ならまだしも、あえて中学3年次で自分の適性についてリスクを犯してまで、特定分野の長期の中堅高等教育的な職業教育を選択する者がそんなに多くの割合で発生するであろうか。そもそも、中学卒業時に進路を決定してしまうこと自体が、極めて難しいことなのだ。

 

*平成28年5月時点、文部科学省から発表された「高等専門学校の充実について」では、高専の大幅な増設・拡大は予定されていないようである。また、逆に、特筆すべき提案もない。