第6章-高専増設批判(2)ー

 かくして、高専増加と分野拡大は、そもそも高専がそうであるように、非常に大きな矛盾と衝突を生み、最後には失敗すると考えられる。どんなに大学相当と称し、そのようなものとして入学者を誘ってきた高専という制度をいじったところで、50パーセント以上の人間が正式の「大学」へ行き、その半分を職業専門大学にしたところで一応これも「大学」であり、高専高専である以上「大学」ではない構造は変わらないのだ。工学系技術職以上の人材に限っても90パーセント以上の者は大学学部卒以上であり(理学部や薬学部、学芸系学部の一部等を含めると、さらに多くの割合となる)、仮に高専を倍増したとしても、焼け石に水であり、高専はマイナーな存在であり続ける。専修学校は、自らを大学相当等と謳って入学者を誘っているわけではないし、その学生の多くは大学での教育を受けることに必ずしも意義を見出していないか、もしも能力があれば大学に進学してもよかったのかなと思っている層であるから、大学相当の完成教育を標榜し比較的優秀者層もかなり多く誘っている高専とはその議論の前提が異なる。

 西尾幹二『教育と自由』は、西尾が第十四期中教審に参画したときの模様を描いている(67頁以下)。このときも高専改革は検討に上がった。審議で西尾は「高等専門学校もその位置づけの曖昧さがかつて疑義に呈されたことがあった。今はまだ数も少ない段階だから、思い切って四年制大学に移行させるか、短大の名称で定着させるかどちらかにしないと、卒業生の社会的立場がはっきりしない困難はいっそう増大するであろう。・・・成長発展していく可能性に富んでいる制度なのかどうかという基本問題をお伺いしたい」とその考えを述べた。西尾によれば、これは

 

 教育界では、「今や学校制度は複線型であればあるほど良い」「中学生の進路選択は多様であればあるほどよい」などと言われてはいる。しかし、「このような常識的結論、現状追認で、果たしてこの学校制度が最初から本質的に抱えているある矛盾を少しでも解消するのに役立っているのかどうか」。 「日本の現代社会には多様性がない。従って学校制度だけ多様化しても、社会にはそれを支える根がない。そのため制度面での『多様化』の試みは、結果的には、おおむね『多層化』に終わる。社会のこの体質にあくまで制度で抵抗すれば、関係の子供たちを徒らに苦しめることになるだけである」。

  

 との認識を根底においていた。西尾のこの問題意識と質問に対する他の委員の意見は、「外国語やデザインへの分野拡大は、女子の進学者の急増を予想させる」とか「わが国の産業社会を支える技術者全体の構成では、4年制大学工学部卒、高等専門学校卒、工業高校卒の人数が逆ピラミッドとなっているが、本来なら高等専門学校卒の者が産業社会を支える中核となるのが望ましい」などといった、当時としても、現在に引き直して考えても、全く現状認識を誤ったものであった。しかも、当の西尾さえも、議論を経る中で、高専をして「社会を『多様化』する尖兵の役割を担わせる力があるかもしれない」と心に思い始めたという。ところが、元中学校教員のある委員が「最後に一言話をさせて下さい」とツルの一声を発したという。

 

私は自分の卒業生を高等専門学校にこれまで何人も送り込んで参りましたので、いろいろなことがあり、気持ちも複雑になっております。・・・家庭の事情で、四年制大学に行くのは一寸無理かもしれないと予め分かっていて、それでも技術系に進みたい子供で、将来性のある、しっかりした者に、進路指導してきました。・・・けれども・・・思わぬ事件も起こったのです。高等専門学校を出て企業に入った私のある生徒と、それから何年か後の女生徒で、短大を出た私のある教え子との間に、縁談が生じました。教師としての私の公平な目で見て、男の子の方がずっと優れていて、まあそう言っては何ですが、女性にとっては勿体無いようなご縁なんですが、彼女の方から申し出て、破談になりました。言い分は、自分が出たのは短大であってともかく大学だが、相手の出身学校はよく分からないし、親にも説明できないというのです。とても厭な、後味の悪い経験でした。分野拡大して、数が増えれば、高等専門学校の存在は社会的にも今より広く知れるようになり、こういう厭なことはなくなるのでしょうか。それとも分野拡大することで、辛い、惨めな経験をする子供がかえって増えるというのでしたら、困ったことだと思いますし、賛成できません」。

 

 会場は一瞬シーンとなってしまったという。西尾が、このようなエピソードなどを踏まえて、どのような教育論議を展開したのか、あるいは、絶望し諦めたのかについては、もちろん同書を参照するしかない。

  高専にはこんな人材もおりそれが高専教育の成果だという前に、時代が時代なら環境が環境なら、経済的条件さえあれば・・・、彼らもその大学教育を選んでいたかもしれないという共感は湧かないのであろうか?高専卒だからこそ、このようなものを開発したと言う例を挙げる前に、普通に高校から大学工学部に行った者の方が圧倒的に多く、彼らもまたしかるべき業績を挙げ続けたきたことくらい、ちょっと想像力を働かせればわかるではないか。高専のよからぬ学校としての実態、逆に、絶えなくして一定割合である優秀層、制度としての問題性・・・。結局は、高専の存在理由と存在形式とそして実態を問い直したときには、やはり、存立そのものを肯定できないのである。その高専が5年制から6年制になったからといって、何がどうなるというのであろう。野村正實氏は、自身のHP上で、次のようなことを述べておられる。

 

 「教育改革は、その教育改革に巻き込まれた学生たちの生涯を決めるような重要なことである。高専を作った当事者たちは、そのようなことは考えもしなかったであろう」